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【新 慶應義塾豆百科】
慶應義塾大学出版会

2020/09/11

慶應義塾大学出版会は1947(昭和22)年11月、慶應通信教育図書株式会社として設立された。翌年開設される慶應義塾大学の通信教育課程の実務を担当し、その教育のための教科書、補助教材等の出版を行うことを目的とした。1952年、慶應通信株式会社に社名変更。以来、通信教育関係以外の受託事業及び学術書の出版も併せて行ってきた。

1995(平成7)年には、本社新社屋が竣工。そして、1996年4月、現在の慶應義塾大学出版会株式会社に社名を変更し、ユニバーシティー・プレスとして、義塾教員をはじめとする全国の研究者の成果発信を中心とした学術書の刊行に本格的に力を入れることになった。

以降、『福澤諭吉著作集(12巻)』『井筒俊彦全集(12巻+別巻)』の刊行、先端研究の成果を反映した学術書の出版のほか、『三田評論』の編集・制作を引き受け、義塾の文化の蓄積と発信においても大きな役割を果たしている。

慶應義塾の出版は福澤諭吉の旺盛な執筆活動に起源を持つ。『西洋事情』をはじめ、数々の著作翻訳を展開していた福澤は、江戸時代の慣行で著作の出版がすべてを書林(書店・本屋)に一任されることに不満を持ち、出版事業の自営化に乗り出し、1869(明治2)年、屋号「福澤屋諭吉」で書林の問屋仲間に加入。その後、慶應義塾出版局、慶應義塾出版社(出板社)と名前を変えながら、『文明論之概略』などの福澤の著作の他、義塾教員の著訳書等を刊行してきた(慶應義塾出版社は後に時事新報社となる)。

また、1937(昭和12)年には、当時の小泉信三塾長がハーバード大学設立300年祝賀式典に招かれた際、米国各大学のユニバーシティー・プレスの積極的な活動を目の当たりにしたことがきっかけで、株式会社慶應出版社が設立され、終戦直後まで存在していた。

現在、慶應義塾大学出版会は、学術出版による研究成果発信という重要な使命を担いつつ、株式会社として経営するために多角的に事業を行っている。本社ビルの上部3フロアーを慶應インターナショナル・レジデンスとして訪問研究員等の宿泊施設として義塾に賃貸している他、近年は通信教育課程のメディア授業・放送授業の制作をはじめとしたデジタルメディアの事業にも力を入れている。

特に2012年に英国のOpen University によって設立されたオンライン教育プラットフォームFutureLearnにおいて慶應義塾大学が日本文化等を世界に発信し、人気を集める各コースの制作を担っている。

慶應義塾大学出版会は福澤諭吉の出版、啓蒙の理念を継ぎながら、新しい研究教育活動を支えることを期待されている。

(慶應義塾大学出版会代表取締役会長、慶應義塾名誉参与 平尾保弘)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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