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【新 慶應義塾豆百科】
慶早戦支援委員会

2019/09/09

「素朴な愛塾精神と少しだけど真面目な奉仕の心を持ったメンバーが、吸い寄せられるように集まり結束します」と答える学生団体が、令和元年の今年、50年の節目を迎える。慶早戦支援委員会(以下、支援会)である。

支援会は、東京六大学野球の早慶戦運営諸業務の支援を目的とする学生団体である。応援席券の各キャンパス内での販売や塾野球部の試合に関する広報活動、早慶戦当日の観客の誘導、現場周辺の管理・警備を行う。福利厚生機関(塾生の学生生活支援を学生自治の視点から考える5つの団体から成る機関)に共に属する應援指導部とは、兄弟分の関係にある。

なぜ私たちは明治神宮野球場での早慶戦観戦で一体感を感じ、優勝するたび今も、「若き血」や「三色旗の下に」を歌いながら、神宮、青山、六本木、麻布十番というきらびやかな街を抜け三田山上まで、提灯をさげ、沿道の方々の祝福を受けて練り歩くことができるのか。それは支援会の下支えがあるからである。

支援会の歴代部員は、明治神宮外苑や関係する警察署に足繁く通い、神宮球場の試合運営をする会社で実際にアルバイトをして安全マニュアルを学ぶ。ルールは堅く守る。こうした長年の信頼の積み上げが、関係者に「別格だ」と認められ、他に真似できないことを成し遂げる。

支援会50年のルーツは諸説あるが、現役部員によれば、優勝パレードの一番後ろについて警備をした男子学生たちだったという。当時、明治神宮野球場での大学野球観戦は大人気だった反面、観戦学生のマナー違反も多く、警察や救急の厄介になる塾生が相当数いた。そこで当時の支援会の部員は、大学から神宮へリヤカーを運び入れ、酒で倒れた塾生を球場から目の前の慶應病院に荷台に載せて運んだ。さらに四谷署、丸の内署、渋谷署、築地署に挨拶に行き、塾生が流れてくる街の交番の前で待機し、巡査が到着する前に駆けつけ事態の収拾を図った。

平成に入ってからもOBによれば、旧明治公園からの列がJR千駄ヶ谷駅改札まで繋がって駅から出られなくなる事態に陥った際、支援会伝統芸の6列並び、信号渡しで凌ぎ、限られた部員だけで整然と慶應の列を誘導した光景に、警察が一目置いたとのことだ。

支援会のこうした泥臭い活動は、兄弟分の應援指導部と比べると地味かもしれない。しかし部員と話すと分かるが、出会う部員皆、背筋が伸び気品があり気持ち良い。支援会では、先輩から後輩への挨拶の仕方、言葉遣い、メールの書き方、連絡をして良い時間のルールなど細かな指導が今も引き継がれている。

支援会を慶應義塾大学が持っていることは強みだと感じる。是非この先の50年も続いて欲しい。

(日吉学生部課長 友田 明文)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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