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【新 慶應義塾豆百科】
大型計算機からネットワークコンピューティングへ

2019/06/28

トランジスター式電子計算機「K‐1」

1958(昭和33)年、小金井キャンパスにあった工学部において、トランジスター式電子計算機「K1」が開発された。義塾に設置された最初の計算機である。爾来60年余り、義塾の計算機環境は、昭和、平成を通して、常に変化を続けてきた。

昭和期の義塾計算機環境は、「大型計算機の処理能力向上史」と考えられる。K1に続き、63年から65年にかけて、三田と工学部にそれぞれ、IBM製、東芝製の商用電子計算機が設置され、さらに、69年には、塾内共同利用を目的としたIBM7040が日吉に設置された。

73年には、IBM7040の後継機種として、主記憶容量が約10倍となる(とはいえ、262Kであった)UNIVACが日吉キャンパスに導入され、他のキャンパスと4,800bpsの通信回線で接続されるなど、処理性能や利用環境が向上していった。

79年にUNIVACの後継機種(富士通製)が日吉と三田の2箇所に設置され、以降、概ね3~5年おきに大型計算機の入れ替えを実施し、常に処理性能を向上させ続けてきた。

一方、平成期の義塾計算機環境は「ネットワークの発展史」と捉えることができる。

84年に、東工大、東大との間でネットワーク接続が行われた。わが国におけるインターネットの起源である。

90(平成2)年開設の湘南藤沢キャンパスには、SFC - CNSと呼ばれるキャンパスネットワークが敷設され、日常の道具としてコンピュータを使う環境が提供された。

96年には、キャンパス間を相互に高速広帯域のネットワークで接続する「慶應情報スーパーハイウェイ(KISH)」が敷設された。KISHは概ね4年ごとに更新し、高速広帯域化を進め、現在では、キャンパス間は20Gbps 、対外接続100Gbpsの高速回線で接続されている。2019(令和元)年夏には第7期の更新を迎える。

パンチカードを抱え、端末室に足を運びながら、主記憶容量12MB、補助記憶装置6GBの1台の大型計算機を共用し、磁気テープにデータを保管していた昭和から、PCの性能が飛躍的に向上し、インターネットが広まった平成の時代にかけて、義塾は最新の計算機環境を利用者に提供し続けてきた。令和の時代、AIという言葉が懐かしがられる時が来ても、最先端を追い続けていることだろう。

なお、冒頭に紹介した電子計算機K1は、2018年情報処理学会情報処理技術遺産に認定され、現在、矢上キャンパスに展示されている。

(ITC本部事務長 金子康樹)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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