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【新 慶應義塾豆百科】
信濃町・孝養舎

2018/11/30

孝養舎は1988年に看護短期大学校舎として建設された。2001年に看護医療学部が新設され、2003年に看護短期大学が閉校を迎えると、孝養舎は看護医療学部が活動拠点を継承するだけでなく、医学部生のロッカーや自習室など、信濃町キャンパスに所属する学生が利用できるように用途の幅が広がっていった。看護医療学部の第3学年は信濃町キャンパスが所属キャンパスとなるため、講義や実習は今も孝養舎が使われている。また、近年では都心に近い利点が生かされ、大学院健康マネジメント研究科や医学研究科の学生の講義も孝養舎が利用されている。

孝養舎は新設当初は「看護短期大学校舎」という名称であったが、2003年に「孝養舎」と名付けられた。この名称は慶應医学の祖である北里柴三郎が、東京での勉学のさなか、熊本の両親のもとにいる弟妹に送った書簡にある「孝養」という言葉に由来する。「孝養」とは孝行して親を養うという意味であり、「患者に優しい」ことを求められている現代医学にとってふさわしい言葉である。

孝養舎は地下1階、地上5階の鉄筋コンクリートの建造物であるが、敷地の多くを大学病院が占有する信濃町キャンパスにおいては学生たちの課外活動を支援するスペースとして重要な役割を果たしている。特に5階の体育室は医学部体育会(剣道部、卓球部、野球部、弓道部など)が練習場として使用している。また現在は安全上立ち入りが出来なくなっている が、屋上にはあずまやと植え込みがあり、神宮外苑が眼下に見え、眺望が素晴らしい。竣工当初は屋上で看護短期大学生が昼食をとり、読書をする姿も見られたそうである。また、毎夏、神宮の花火大会を孝養舎の屋上で教職員と学生が一緒に観賞したという記録も残っている。当時は楽しい夏の思い出の一コマであったのだろう。

2階には自習室や学生ラウンジで看護医療学部生と医学部生とが熱心に勉学に励む姿が見受けられる。1階には看護医療学部の研究室の他に、かつては座席数7名程度の看護短期大学事務室があった。現在では信濃町キャンパス学生課と卒後臨床研修センターが事務室を構え、20数名程度の事務スペースがフロアを隔てて同居している。そのため初期臨床研修医が孝養舎に出入りすることもある。

正面玄関横の桜の大木は毎年春になると見事な花を咲かせ、無機質なイメージの信濃町キャンパスに彩を添えている。2018年5月には新病院棟である1号館がオープンしたが、慶應看護100年の息吹をうけながら、孝養舎は時代に沿った新たな医療人の養成を見守っていくことだろう。

(大学病院秘書課長 秦 英作)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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