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【新 慶應義塾豆百科】
館山合宿所

2018/07/31

体育会館山合宿所は、千葉県館山市の塩見海岸に面し、男子棟、女子棟、部長棟の木造平屋建て3棟(建築面積は約728平米、宿泊総定員は127名)に加えて体育館も備えた施設である。

その開設を語るには、館山合宿所を長期休校期間中の活動拠点とし、海洋遠泳を中心に海で活動している水泳部葉山部門の歴史にふれなければならない。

義塾水泳部は、1902(明治35)年に神奈川県葉山町で第1回水泳練習会を開いたことを発祥とし、1915年には体育会葉山寄宿舎が完成してプールがなかった時代の練習の拠点となった。競泳・水球・飛込が専門性を高め、ヨット部が水泳部から独立していく中で、葉山部門は発祥の地名を部門名とし、海での活動の伝統を守りつつその内容を昇華させていった。

静かな海岸であった葉山も、石原慎太郎の『太陽の季節』がベストセラーとなった昭和30年代前半には、「湘南葉山の海浜は足の踏み場もないほど若者で賑わい、浜辺での準備体操や終了時に女の子が騒ぎ立てる」と、水泳部百年誌でOBが述懐している。そのような状況の中、一部部員の不祥事により、葉山部門は活動停止、葉山寄宿舎は閉鎖となった。

数年間の謹慎生活を経て、義塾当局の了解のもと新合宿所建設候補地の調査が行われ、白羽の矢が立ったのが現在の館山の地であった。東京から数時間、鏡ヶ浦とも呼ばれるほど穏やかな館山湾内にあっても混雑していない海岸は、ユートピアのように映ったという。

このような経緯で、1962(昭和37)年に現在の女子棟が完成し館山合宿所が開設された。1966年には男子棟と部長棟が、1969年には体育館が竣工し、ほぼ現在の姿となっている。

築50年の木造といぶかる向きも多いだろう。各部の監督世代の方は、館山は汲み取り式便所で扇風機すらないとお聞きかも知れない。木造は変えようもないが、格好良く言えば木の温もりが感じられる造りであり、ここ十数年の大変革でトイレは水洗化されエアコンも設置されて、初めて来る学生が驚くこともなくなってきた。また、体育会部員は1泊3食で3,500円ほどと格安で、東京駅発高速バスの停留所からも徒歩5分と、アクセスも格段に良くなっている。幼稚舎生が夏の水泳に来ていた時期もあったが、現在はレスリング部や自転車競技部等の合宿に加えて、2006年からシーズンスポーツのマリンスポーツアクティビティ、2014年からはビーチバレーと、その利用は徐々に広がりつつある。

我々、葉山部門出身者にとり第2の故郷の館山合宿所が、今後ますます多くの塾生に利用されることを願ってやまない。

(女子高等学校事務室 中村真久)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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