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【新 慶應義塾豆百科】
命名SFC

2016/04/04

SFC開設の日(1990年4月5日)

1990年4月、SFCが開校した。前年には、全塾を挙げての新学部設立準備委員会における議論は既に終了し、新しい2学部の学部長予定者を中心とした新執行部によって、具体的な設計段階に入っていた。内容は、新たに始めるセメスター制など対学生に関する様々なことに関しての詳細。教授会による学部の運営方法やその規程作成。初年度には完成していない体育館や図書館の対策や教室のAV機器などのハード面に関すること。また周辺地域の方々への説明会に関することなど、ありとあらゆることについての議論に膨大な時間を費やしていた。

伝統のあるキャンパスでは、ものには必ず名前が付いていて、普段意識することは無い。しかしここでは全てに名前が無い。インパクトのある学部名については既に決定し、設置申請の結果を待つばかりであったが、点在する校舎や研究室などを何と呼ぶのか、また校門に名前をつけたい、2つの池は何と呼ぼうか、キャンパス内を一巡する道路は、等々。議論の中でもこれらについては息抜きとも言える楽しい時間だった。中でもキャンパスそのものを何と命名するのか。

「藤沢校地取得」が発表された頃は単に「藤沢」と呼ばれていたが、いざ教職員自らが移籍して開校となるとすばらしい名前をつけたいというのは無理からぬことで、様々な意見が出てきた。慶應藤沢キャンパスなのでKFC。これではフライドチキンのチェーン店になってしまうから却下。ではイメージ良く湘南を使い、慶應湘南キャンパスでKSC。しかし藤沢市には大変お世話になったのだから名称にも「藤沢」を入れたい。そこで湘南藤沢キャンパスでSFC。しかし世界のスタンダードな命名方法は、Keio University at Shonan Fujisawa だからKUSFだ、というのもあったが、語呂が悪いので却下。結局SFCと決定し、この後すぐに塾内高校生向けのパンフレット『SFC』、4月に新入生に配布する『SFCガイド』などに正式に使用され、塾内に普及していった。更に、1991年の大学設置基準の大綱化が全国の大学改革を後押ししたことで、SFCの様々な新たな試みが、キャンパス名と共に全国に浸透していき、年間4,000人を超える見学者を迎え入れることになった。

SFCを別の言葉に置き換える遊びも盛んだった。当時のブームからSuper Family Computer。初期のあまりの忙しさに、ある教員は苦笑いをしながらSeverely Frustrated Campus。また新学部の姿勢を表現しているのだというShare Fair Care、等々。

今では全国の大学の特徴あるキャンパスには様々な名称が冠されているが、それらの魁となったのだった。

(塾監局 富山優一)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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