三田評論ONLINE

【新 慶應義塾豆百科】
南校舎と植栽

2016/01/01

旧南校舎と浜木綿

正門前の南校舎は創立150年事業の一環として2011年3月に竣工し、4月から使用を開始した。建替え前の昭和34年竣工の南校舎と同様、中央には正門から中庭に抜ける大階段が設けられている。地下1階、地上7階で、大小あわせて45教室に加え、680名収容のホール、学生食堂カフェテリア、教職員のサロンである「社中交歡 萬來舍」なども設けられ、7階には予約制のグループ学習室や個人で自由に学べるラウンジと見晴らしのよいテラスが作られた。

以前に比べて床面積が増え、前に張り出し、正門にぐんと近づいたため、校舎前にあったさまざまな植栽は移植が検討されることとなった。旧南校舎は創立100年事業で南側の壁を崩して新たに正門を作ると同時に正面に位置する建物として建設された(それまでは東門、いわゆる幻の門が正門であった)。

創立100年を記念して、岡山の両備グループ2代目社長の塾員松田荘三郎氏からは2本のオリーブが寄贈され、和歌山の塾員柳弥五郎氏からは浜木綿が寄贈された。柳氏は、戦時中海南市の名物市長として知られていた人である。いずれも南の植物であったので、根付くかどうか懸念されたが順調に育ち、校舎前を彩っていた。その後1961年には、ハーバード大学のジェームズ・B・コナント学長が寄贈、植樹したタイサンボクや、1986年、慶應義塾商工学校同窓会より贈られたつつじとさつきも加わり、植栽は豊かになっていった。

2009年、南校舎の建替えに伴い、2本のオリーブのうち1本を演説館北側に移植、100株以上に育っていた浜木綿はわずかを正門警備室脇に移植したほか、慶應義塾女子高等学校に隣接する西別館の屋上に移した。本来日当たりのよい場所を好む植物にとってはよい場所だが、目に触れなくなったのは残念である。 3本あったタイサンボクのうち1本も演説館北側のオリーブの隣に移植され、白い大きな花が演説館とよく似合っている。つつじやさつきは数を減らして、福澤公園内に移植され、春には鮮やかな花をつけている。

また南校舎から警備室に少し寄った場所には、1980年3月に、定年退職を控えた池田弥三郎文学部教授が植樹したタブの木があった。師である折口信夫がこよなく愛したタブの木を三田への置きみやげとして植樹すると、演説館前の30本とともに計80本寄贈されたが、建替え時には、約10本に減り、そのなかの移植に適した数本を演説館北側に移した。タブの小さな杜の前には、慶應義塾国文学研究会による銘板があり「たぶの木のふる木の杜に入りかねて 木の間あかるき かそけさを見つ 迢空」と折口の歌が刻まれている。

(広報室 石黒敦子 )

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事