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【執筆ノート】
『絞首台からの生還──在日韓国人政治犯の半世紀』

2026/02/09

  • 西村 秀樹(にしむら ひでき)

    同志社大学ジャーナリズム・メディア・アーカイブス研究センター研究員・塾員

スパイと聞いて、何を思い浮かべますか。英国の諜報部員、007=ジェームズ・ボンドでしょうか。あるいは、戦前の日本で活動した、ソ連のスパイ=リヒャルト・ゾルゲでしょうか。本書は、今から半世紀前、韓国に留学中、韓国政府から「北(朝鮮)のスパイ」容疑で拘束され死刑判決が確定した在日コリアン3人を軸に、朝鮮と日本の近現代史を描いたノンフィクションです。

なぜ在日コリアンだったのか。朝鮮人の多住地域では狭い地域に朝鮮総連系と民団系の人びとがいっしょに暮らす。在日の留学生たちにとって朝鮮総連の人たちとの接点は日常的だった。だから、韓国政府が在日の留学生の「スパイ容疑」を捏造するのは容易だった。当局の苛烈な拷問の末、留学生たちは「自白」した。

なぜ1970年代、「スパイ」事件が頻発したのか。きっかけはベトナム統一だった。1975年春、北ベトナム軍がベトナムの武力統一を成し遂げた。韓国の朴正煕大統領は危機感を強め、スパイ事件を検挙頻発して韓国国内の引き締めを図った。

分断の生贄。第二次世界大戦の末期、連合国はポツダム宣言を日本に突きつけた(1945年7月26日)。日本の政治指導部は天皇制の存続をめぐって逡巡し、結局、ポツダム宣言を受諾したのが8月14日。

その3週間に何が起きたか。8月6日、米軍が広島に原爆投下。8月9日、ソ連軍は満蒙国境を越え、朝鮮の北半分を占領。同じ9日米軍が長崎に原爆を投下。

朝鮮分断は米ソに大きな責任があるが、日本の責任も小さくない。そうした朝鮮分断を背景に、朴正煕政権は政権延命の生贄に在日コリアンの留学生たちを選んだ。

民主化が死刑囚の生還を促した。1987年韓国では民主化が宣言され、捏造された「北のスパイ」たちは釈放され、再審で無罪を勝ち得た。

後半では民主化後の韓国の実情を描いたが、日本では袴田事件でわかるように刑事訴訟法は大正時代のまま。一方でスパイ防止法が政治過程に上る。スパイは、容易に「捏造」できることを韓国の事例は示している。

スパイにされた青年たちの多くは筆者と同世代、彼らの苛烈な青春を多くの人に知ってもらいたい。

『絞首台からの生還──在日韓国人政治犯の半世紀』
西村 秀樹
三一書房
248頁、2,420円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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