三田評論ONLINE

【執筆ノート】
『福澤諭吉と法典論争』

2025/12/23

  • 高田 晴仁(たかだ はるひと)

    慶應義塾大学大学院法務研究科教授

福澤研究といえば、決まり文句は「汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)」。数多の業績がひしめいている。そこに不思議なすきまをみつけた。福澤と明治期の立法の関わりである。

なかでも「法典論争」は、明治20年代に西洋式法典をめぐって延期派と断行派が争い、「民法出でて忠孝亡ぶ」を謳い文句に保守的な延期派が勝利した、と歴史の教科書にある。きっと我が福澤先生は断行派だろう、と福澤諭吉全集のページをめくってみたら、実は「延期派」だった。なぜだ、と素朴な疑問をもった。

今から振り返れば、そのときの私は何もわかっちゃいなかったのである。法典論争なのだから、法典が良いとか悪いとかを争ったのだろうというのは勝手な思い込みで、論争のスケールはもっと大きかった。

福澤の延期論は、政府がお雇い外国人に外国語で起草させ、一般国民にはまったく意味不明な翻訳をほどこした法典を急に押しつけるやり方に「待った」をかけるものだった。なによりも政府の意図が、西洋式の法典を小道具とし、諸外国のお目にかけて領事裁判権の撤廃に応じてもらおうとしていたのが気に入らない。不平等条約改正という政治家の手柄とひきかえに、国民が大いに迷惑し、日本の立法への外国政府の介入という禍根をのこすからである。そうなると事柄の本質は、法典の中身の良し悪しではない。

だがそのことは福澤に法律の知見がなかったことを意味しない。自著の偽版に苦しめられた福澤は、英米の著作権を書物で学んでコピーライトを「版権」と訳し、当時の偽版取締に応用して偽版業者と闘った。

また、福澤には苦々しい敗訴の経験もあった。丸家銀行の株を息子たちの名前で保有していたところ、銀行が倒産し、預金者から「株主は銀行の代わりに預金を返せ」と訴えられた。法廷闘争も空しく、大審院判決で想像を絶する株主無限責任(有限責任ではない)を負わされ、その奇禍は、会社法の整備が必要だという世論の背景になっていく。

汗牛充棟のすきまから垣間見えたのは、その思想と行動で法の世界をもリードする福澤の姿だった。明治23年の大学部法律科創設は、伊達ではない。

『福澤諭吉と法典論争』
高田 晴仁
慶應義塾大学出版会
336頁、3,740円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事