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【執筆ノート】
『日本人戦犯裁判とフランス──インドシナ・サイゴン裁判・東京裁判をめぐる攻防』

2025/10/27

  • 難波 ちづる(なんば ちづる)

    慶應義塾大学経済学部教授

日本人戦犯裁判とフランスという組み合わせは耳慣れない人が多いかもしれない。BC級裁判のなかでも、フランスによるサイゴン裁判は圧倒的にマイナーな存在であるし、東京裁判においてフランス人司法官たちの果たした役割はほとんど知られていない。日本人戦犯裁判に関する研究は数多くあるが、これらの問題は最近まで見事に歴史から忘れ去られてきた。それは、決してこのテーマが「とるに足らない」からではない。むしろ多くの重要な点─とりわけ戦後に続く根深い植民地主義という問題─を含んでおり、それらを少しずつ掘り起こし、全体像を浮き彫りにする過程は、地道ながらも刺激的なものであった。

このテーマに取り組むこととなったのは、必然であると同時に偶然でもあった。必然というのは、それまで留学先のフランスで第二次世界大戦期のインドシナにおける日仏共存について研究していたため、このテーマはその延長線上にあるからである。偶然というのは、フランスから帰国した直後に、東京の国立公文書館でたまたまアルバイトをすることになり、その頃公開され始めた一連のBC級裁判関係資料のなかにあるサイゴン裁判資料の存在を知ったからである。

必然と偶然といえば、歴史の研究をしているとこの問題について深く考えざるをえない。歴史学は過去の出来事の連鎖、因果関係を多様な視点から探究していく学問だが、必然と偶然はかならずしも明確に区別できるものではない。偶然にみえるものも分解して分析すればそうではないこともあるし、必然にみえることにも様々な小さな偶然が介在しているものだ。

戦犯裁判の史料をひもといていくと、いくつもの不条理な事実に遭遇する。生と死を分けるきっかけがほんのささいな偶然によることがある。その一方で、長い歴史のなかで作り上げられてきた構造にからめとられ、個人の意思ではどうにもならないようにみえる場合もある。わたしたちは与えられたこの生を生きるうえで、何が必然で何が偶然だといえるのだろう。人々は歴史のなかでそのようにそれを受けとめてきたのだろう、と思いながら本書を執筆した。

『日本人戦犯裁判とフランス─インドシナ・サイゴン裁判・東京裁判をめぐる攻防』
難波 ちづる
慶應義塾大学出版会
256頁、2,860円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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