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【執筆ノート】
『『純粋理性批判』を立て直す──カントの誤診1』

2025/05/12

  • 永井 均(ながい ひとし)

    哲学者、倫理学者・塾員

皆さんはどういうやり方で、たくさんの人間たちの内から自分を識別しておられるだろうか。自分以外の人の識別は、ふつう顔かたちで、警察なら指紋なども使って、厳密には遺伝子などによって、為される。すなわち物的・外的な特徴によってだ。では、自分の場合は、心的・内的な特徴によって為されるだろうか。カントはそう考えたようだ。しかし、例えばA、B、C、Dという4人の人がいて、Aは寒くて悲しく昔のことを思い出しており、Bは暑くて嬉しく来年のことを計画しており、Cは暖かくぼんやりして何も考えておらず、Dは寒くてキリっとして数学の問題を考えているとして、そうした事実から、どれが自分であるかは決まるであろうか。そんなことはありえない。どれであれ、それを現実に感じているやつがいれば、そいつが自分なのである。自分がどれであるかの識別には、外的であれ内的であれ、人間の持つ属性はいっさい使われない。ただ単に、現実に感じられているという例外的なあり方をしている人が、すなわち自分であるにすぎないのである。

そして現在は、たくさんいる人間たちの内に、そのように「現実に感じている」という例外的なあり方をした人間が存在している特別な期間である。なぜなら、そんなやつはかつては存在していなかったし、近々また存在しなくなるからである。その例外的なやつはいったい何であり、そんなものがなぜ生じたのかは、まったくの謎である。

現実に直接感じられている内容が寒暖や気分や思考内容ではなく記憶である場合に、この「自分」が大きく変容をとげ、そこから本論が始まるのだが、その解説には紙幅が足りない。興味をお持ちの方は、直接この本を読んでいただくほかはない。この本は、カントの主著である『純粋理性批判』を真正面から批判する本で、こういう古典にかんして、入門書、解説書、研究書はたくさん書かれているが、それを真正面から批判する本が書かれるのは珍しい。しかし、何かに入門するには、平坦な解説書から入るよりも、それに対して真正面から反論しているものから入るほうがポイントがつかみやすいのも事実なのである。

『『純粋理性批判』を立て直す──カントの誤診1』
永井 均
春秋社
384頁、3,520円(税込)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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