【執筆ノート】
『マイナーな感情─アジア系アメリカ人のアイデンティティ』キャシー・パーク・ホン(著)
2025/01/30
次期アメリカ大統領にトランプが就くことが決まった。ハリスは「アジア人の血を引く初の大統領」にはなれなかった。ハリスの敗因を分析するうえでアイデンティティポリティックスやレイシズムの視点がきわめて重要であるのは言を俟(ま)たない。
筆者は『世界と僕のあいだに』、『わたしは、不法移民』と訳書を世に問うてきた。前者はアフリカ系アメリカ人タナハシ・コーツによる今や古典となっている作品。後者はヒスパニックのカーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオ(自らもハーバード大学卒の「非正規移民」であった)が著したものだが、訳書の刊行からほぼ1カ月で読売、朝日、日経と書評が続いたのは、いわゆる不法移民がアメリカ政治でいかに大きなイッシューであるかを示していよう。
本書の原著は2020年刊行。全米批評家協会賞受賞に加え、著者がTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれるなど大変な評判をよんだ作品である。ただ、著者自らが述べているように、アジア人は「真のマイノリティと見なされるために必要な存在感すら持っていない。何かの象徴となるほど人種的でもない。あまりにもポストレイシャルでまるでシリコンのようだ」。
著者はこうも記す。「私たちが不満を口にすれば、アメリカ人はいきなり訳知り顔になる。なぜそんなに不満なんだ! あんたがたは次の白人になる存在なんだ! まるで私たちが生産ラインに1列に並ぶiPadみたいな言い方だ」。モデル[=アリバイ]マイノリティたるアジア人が日々さらされる「マイクロアグレッション」こそがマイナーな感情を生み出す要因となるのだが。
アメリカの社会や文化に対する鋭い批評だけではなくビルドゥングスロマンの側面もある本書だが、7つのエッセイには「悪い英語」というものまであって「清浄液のような英語」を用いることに対するアンチテーゼも提示されている。訳者あとがきにも記したが「往々にしてひりひりするような本書の文章―日常的な語に見えてディシプリンに紐付いていたり、詩的効果のためか思いもかけぬ語や比喩が挿入されていたり……」を訳すのはまことにチャレンジングな経験であった。
『マイナーな感情─アジア系アメリカ人のアイデンティティ』キャシー・パーク・ホン(著)
池田 年穂
慶應義塾大学出版会
250頁、2,750円(税込)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
- 1
カテゴリ | |
---|---|
三田評論のコーナー |
池田 年穂(訳)(いけだ としほ)
慶應義塾大学名誉教授