【執筆ノート】
『共感覚への旅──モダニズム・同時代論』
2024/08/30
キュレーター、という言葉ももはや、世間にも定着したのかも知れない。美術館・博物館の専門職員で、作品を集めたり、展示したりする、学芸員という仕事。私は、かれこれ、40年以上、この仕事をやってきて、「お前、一体何屋?なんや」と聞かれたら、「人様の絵を借りて来て、壁にかける仕事」で家族を養ってきた男、と答える。大学で教えているのも、ほぼその方面の事どもだ。
コロナ禍4年で、4冊の本を上梓できたので、家長としての威厳は保てたかも知れない。
私は頭で考えたり、書物でお勉強したりしたことは、書かない質(たち)。だから、この本には、身体で知っていることしか書いていない。美術作品や造形全般、学芸員としてモノに触れて身体で感じたことを縷縷(るる)書き連ねたものだ。前著までと違うのは、悲願であった音楽のことが書いてある。書いてあるだけじゃ無く、それが専門の美術とセットにしてあって、それぞれ並べて、比べて、もじって、「かこつけて?」書いてある。
学芸員としての私の得意技も、普段は時代やら、傾向やらで同じ壁に並べて飾られている美術作品を、時・空間を切り離して、遠いところから、お互い持ってきて「出会わせる」荒技だから、そういう、「こりゃ、牽強付会じゃないかね?」と、一部の人には訝(いぶか)られる点もある代物だ。
所謂(いわゆる)、美術作品と音楽の同時代性を書いたり、指摘したりしたものは多々あるだろうが、そういう学術的なる見識を披露したものでも無い。謂(い)わば、私個人の体験の中で結びついたモノ同士を、ややユーモア混じりに、面白可笑しく書いたエッセイである。これそのものが批評というのか、極上の文学作品(の、つもり)として成立するように、苦労だけはやってある。
そういう、至高の技を狙ったもの=自信作、なんだが、やはり、一方で、まだまだ「日暮れて、道遠し」かも知れない。亡き井上ひさし先生も言っておられる。「難しいことを、やさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く……」と。
だが次著からは、私はもう小難しい芸術エッセイはやめにして、それも、超得意技である、食のエッセイに転向しようかと、思案している。
『共感覚への旅──モダニズム・同時代論』
新見 隆
アートダイバー
392頁、3,300円(税込)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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新見 隆(にいみ りゅう)
武蔵野美術大学造形学部教授・塾員