【執筆ノート】
『AI・機械翻訳と英語学習──教育実践から見えてきた未来』
2024/06/27
私がSFCの新入生だった頃、当時総合政策学部長であられた井関利明先生による「近代思想」の授業を履修した。その第1回目で、「メガネ新調の季節」というお話をされたことは今でも忘れない。小難しく言えばパラダイム論のことなのだが、井関先生はそれを高校生と大して変わらない私たちに分かりやすく説いて下さった。
本書は、昨今の生成AIが、そうしたパラダイム論をも視野に考える必要があるくらい、次なる大きな物語を提示する可能性を同僚の教員その他と共に論じたものである。幸か不幸か、生成AIの実社会への浸透は思ったより進んでいない。かねてより変化に疎いと批判されがちな教育の世界も同様で、未だ声高に反対を唱え、あえてAIを使わない教育に躍起になる教員も一部には見られる。
しかし違うのである。既にパラダイムが変わってしまっている可能性、ゲームのルールや、ゲームそのものが取って代わられてしまっている可能性を教育者は認識すべきなのだ。そうでなければ、未来ある若者を先導する立場の者として、あまりにも無責任である。
筆者は応用言語学や言語哲学(プラグマティズム)を専門とする研究者であり、大学では外国語教育の実践者として教壇に立っている。ChatGPTは、昨今では曲も作り、絵も描くようにはなったが、元々は大規模言語モデルに基づいたAIである。つまり、大量の書き言葉であるテキストデータこそ本家本元であり、やはり生成AIのスイートスポットとは言語なのだ。つまり生成AIが最も得意とする分野こそ言語であり、したがって外国語を含む言語教育にその性能を活かすことはむしろ自然な発想ですらある。
本書では、生成AIのインパクトが、特に外国語教育に何をもたらすのか、革命的、あるいは壊滅的影響を与えることは確かなのだが、その詳細を専門的に論じたものである。まさにパラダイムを変えてしまうだけのインパクトが生成AIには秘められている。これまでの英語教育を単に否定したり、闇雲に批判することは意図しない。ただ、ひたすらパラダイムが違ってしまっていることを訴えたいのである。
『AI・機械翻訳と英語学習──教育実践から見えてきた未来』
山中 司(編著)
朝日出版社
280頁、2,420円(税込)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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山中 司(編著)(やまなか つかさ)
立命館大学生命科学部生物工学科教授・塾員