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【執筆ノート】
『利他・ケア・傷の倫理学──「私」を生き直すための哲学』

2024/06/07

  • 近内 悠太(ちかうち ゆうた)

    教育者、哲学研究者・塾員

なぜ人はすれ違うのか? なぜ他者を思いやる気持ちが空回りし、時にその人を傷つけるのか? それは僕らが他者の心を見誤るからです。

本書はケアを「その他者の大切にしているものを共に大切にすること」と定義しています。他者という概念を「大切にしているものが私のそれとは異なっている主体」というようにスライドさせることによってケア概念にアプローチしています。

他者すなわち「私ならざる人」は私とは似ていない。私が感じるようには感じておらず、私が認識しているのと同じようには世界を認識していない。同じ出来事をまったく異なる出来事として把握する。心が違う。だから僕らは他者の心を誤解する。

なぜそのようなことが起こるのか。それは現代が多様性の時代だからです。多様性の時代においては、各々の主体の大切にしているものがズレています。そしてその大切なものが失われたり、毀損されたとき僕らは傷つく。そんな傷の記憶がその人の行動様式や認識を多様化させるのです。育ってきた環境が違い、価値観が違う。それはすなわち「大切にしているもの」と「傷」が一人一人異なっているということです。

それに対して、数万年前のホモサピエンスが暮らしていた環境を思い浮かべてください。そこでは、飲み水、食糧、遊び、あるいは大地、その地域固有の死生観や霊的信憑、その他さまざまな「大切にしているもの」が共同体内部で共有されていたはずです。つまり現代の都市生活者たちのように、大切にしているものと傷が、人によってそれぞれ異なるということはなかったでしょう。進化生物学者ロビン・ダンバーの主張や現代の狩猟採集民の生活様式に関する調査から、どうやらかつてのホモサピエンスたちは、数十人(最大でも150人程度)の共同体で暮らしていたという説が有力です。僕らの身体と心はそのような環境に適応すべく進化した。

文明が興り、都市生活が始まって、他者が生まれた。そして、僕らはケアがうまくできなくなった。そのような問題意識から書かれたケア論です。もう一度、ケアを取り戻すために。多様性の時代に、それでもなお、ケアを為すために。

『利他・ケア・傷の倫理学──「私」を生き直すための哲学』
近内悠太
晶文社
304頁、1,980円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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