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【執筆ノート】
『マトリョーシカのルーツを探して──「日本起源説」の謎を追う』

2024/01/30

  • 熊野谷 葉子(くまのや ようこ)

    慶應義塾大学法学部教授

ハチ(米津玄師)さんが2010年に出したボーカロイド楽曲「マトリョシカ」の動画には、黄色い背景に「マトリョーシカ人形とは……」「日本にもマトリョーシカと同じ作りでだるまなどの入れ子人形が……」といった大量の文字列が現れ、猛スピードで画面を真っ黒に覆いつくしてぱっと消えるシーンがある。Wikipedia から取られたマトリョーシカ日本起源説だが、当時この謎を追い始めていた私は「ハチさんがこの俗説の多さと脆さを笑っている!」と勝手に感心したものである。

それから早くも13年。私は学会や民俗学調査でロシアに行くたびに方々を歩きまわってきた。おもちゃ博物館のあるセルギエフ・ポサード、19世紀の資産家マーモントフと芸術家達が成したアブラムツェヴォ村、トゥーラ州にある画家ポレーノフの屋敷地博物館……学部時代に1年モスクワ留学した以外諸々の事情でロシアに長期滞在できなかった私にはこうした小さな旅の積み重ねはとても貴重で、1分を惜しんで活動した。

ところが、コロナ禍に続くウクライナ侵攻で今やロシアは地の果てよりも遠い。ならば集めた資料が腐らないうちに、見聞きしたことを私が忘れないうちに、まだ謎があるなどと言っていないでまとめよう……と思ったら日本にも謎は山ほどあった。マトリョーシカのアイデア源と目される箱根七福神の入れ子人形はいつ生まれ、どうやってロシアへ渡ったのか。そもそも日本の木工轆轤(ろくろ)史はどこまで遡れるのか?

私は、今度は箱根、小田原を歩き、木地師の資料を取り寄せ、義塾の貴重書室で奈良時代の「百万塔」を手に取って感動した。専門家ならぬ気楽さもあってかこうした日本の木工の勉強は実に楽しかったが、たちまち原稿は肥大し出版は先へ先へ延びた。何とか形になったのはひとえに敏腕編集者の催促のおかげである。

結局のところマトリョーシカ誕生とその起源には分からないことが多い。だが、私がこの問題に取り組み始めた頃、ある敬愛する先生が私に「あなたがマトリョーシカ誕生の謎を解いたらノーベル賞をあげる」とおっしゃった。ノーベル賞は逃したが、先生にはほめていただけたのでよしとしておきたい。

『マトリョーシカのルーツを探して──「日本起源説」の謎を追う』
熊野谷 葉子
岩波書店
302頁、2,970円(税込)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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