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【執筆ノート】
『箱根駅伝100年史』

2024/01/11

  • 工藤 隆一(くどう りゅういち)

    フリーライター・塾員

よく考えてみると「箱根駅伝」(正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」)は、単なるローカル大会です。主催は「関東(山梨県を含む)学生陸上競技連盟」。この団体は「公益財団法人日本陸上競技連盟」の下部組織「公益社団法人日本学生陸上競技連合」のそのまた下の団体。有体に言えば、各種大学スポーツでの「関東大会」と同じなのです。しかし、現実は規模も人気も全国区です。

この特異なスポーツ・イベントは、1920(大正9)年に第1回が実施されました。ストックホルム五輪のマラソンに出場し、途中棄権した金栗四三(かなくりしそう)の「悔しさ」が原点です。「世界に通用する長距離ランナーを育成するには過酷な鍛錬が不可欠」と「アメリカ横断レース」を思いつき、ロッキー山脈越えの代わりに、まずは「箱根の山を」となったのです。

金栗の思惑とは裏腹に、始まった当初はのんびりしていました。第1回大会の参加校は東京高等師範学校、明治大、早稲田大、慶應義塾大の4校のみ。箱根山中の「抜け道」も大目に見られ、第6回大会では日本大が人力車夫を「替え玉」で走らせました。

大学スポーツといえば、野球の六大学リーグに代表される“ブランド校”が中心ですが「箱根駅伝」は早稲田大を除いて、かなり“地味”です。優勝回数ベスト5は①中央大②早稲田大③日本大④順天堂大⑤日体大。さらに1987(昭和62)年に日本テレビ(系列)が実況中継を始めると、山梨学院大が“禁じ手”とも思える留学生を配し、1992(平成4)年には初優勝を飾ります。

このときのテレビ視聴率は、復路で26.1%。新興の大学にとって宣伝効果は絶大です。

「箱根駅伝」開催日が1月2、3日に固定されたのは戦後の1956(昭和31)年から。公道を使うのは、物流が正月休みの時期に、との警察からの提案があったからです。この日程が30%近くを稼ぐ視聴率の一助になっているのですから、わからないものです。

100回を終えた「箱根駅伝」はいささか大きくなりすぎました。かつての牧歌的な雰囲気は望むべくもありませんが、伝統の「ユルい」雰囲気はなくさないでほしいですね。

『箱根駅伝100年史』
工藤 隆一
KAWADE夢新書
240頁、979円(税込)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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