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【執筆ノート】
『おとめ座の荷風』

2023/12/08

  • 持田 叙子(もちだ のぶこ)

    近代文学研究者・塾員

すぐれた芸術家はしばしば女性分子と男性分子をあわせ持つ。レオナルド・ダ・ヴィンチしかり、オスカー・ワイルドしかり、森鷗外、与謝野鉄幹、そして我が永井荷風もそうである。

荷風はとくに少女の感性を深く持つ。彼の文学は少女性を濃く湛える。荷風は遊蕩作家として文学史に位置づけられる。しかし私などが読むと、彼の描く〈娼婦〉にはあまり色気がない。『腕くらべ』の駒代も、『つゆのあとさき』の君江も、みな損得抜きで真実の恋に夢中になるわがままな永遠の少女、といった風情の女性である。

実はデビューをねらう20代の荷風が書いた小説群には少女ばかりが描かれる。その代表が、鷗外も推す荷風のデビュー単行本『地獄の花』(1902年)。この前年に与謝野晶子が歌集『みだれ髪』を刊行し、〈少女〉のいちずな恋心を古い社会に訴えた。多くの若者が恋する少女戦士に共感した。──荷風文学の船出を考えるに宿命的な構図である。

従来の文学史では看過されるが、荷風は与謝野晶子の1つ年下、同期の桜である。晶子の少女革命につよい刺激を受ける。まっすぐな少女の恋心を人間の真実ととらえ、家や親の決めた結婚にあらがう少女の叫びを通し、社会の刷新を呼びかけた。初期から晩年まで少女を書いた。本書は荷風を遊蕩派としてではなく、晶子や鷗外にならぶ〈少女党〉として捉え直す。

2部構成をなす。第1部では荷風が平和を愛する乙女を盾とし、世界戦争へ突入する社会を批判する様相を追う。第2部は荷風と親しい森鷗外、上田敏、両者の熱い支援をうけた与謝野晶子を、おなじく乙女の願いを通して非戦と平和を叫ぶ〈少女党〉として追う。

この1冊には明治・大正の豊潤な空気も吹き込んだ。鷗外がみずから植えて育てたドイツ風の花園。彼が翻訳した西欧小説の多彩な甘いキス。上田敏が一人娘に書いた何十通もの愛の手紙。真珠の首飾りをかけてパリのオペラ座へゆく晶子……。

荷風は星を愛した。太平洋戦争中も遠い天空の星に平和を祈った。そんな彼を輝くおとめ星座にたとえた。では彼の本当の誕生星座は? 答えは本書の中にあります。

『おとめ座の荷風』
持田 叙子
慶應義塾大学出版会
258頁、2,970円(税込)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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