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【執筆ノート】
『慶應義塾の近代アメリカ留学生──文明の「知」を求めた明治の冒険』

2023/11/23

  • 小川原 正道(おがわら まさみち)

    慶應義塾大学法学部教授

筆者がはじめてアメリカに留学したのは、2005年のことである。その際、明治初期に慶應義塾に学び、イエール大学に留学、帰国後に外交官や政治家として活躍した岡部長職(ながもと)の伝記を書いた。岡部は旧岸和田藩主であり、近世エリートでありながら、近代エリートとしても成功した、稀有な人物である。その留学の足跡をたどりながら、彼が何を目指して異国の地で学び、日本に何を持ち帰ったのかに思いをめぐらせた。

戊辰戦争が終結し、明治国家が建設されはじめた当時、アメリカもまた南北戦争で多大な犠牲を払い、国家再建の途上にあった。岡部と同時期に多くの旧藩主が義塾に在籍したが、奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍と戦った「賊軍」出身者が目立つ。南と北の戦い。戊辰戦争にもその面があり、義塾に集った旧藩主たちには、荒廃した北の大地の再建も託されていたのである。

本書で最初に取り上げた奧平昌邁(まさゆき)も旧中津藩主で、旧領地の人々に学問の模範を示してほしいという福澤諭吉の期待を受け、渡米した。第2章で論じた津田純一は、その随行者として福澤に選ばれ、ミシガン大学ロースクールを卒業し、日本における法学教育の草分けとなる。第3章以降では、福澤の長男・一太郎、次男・捨次郎、一太郎の長男・八十吉のアメリカ留学を論じている。彼らは慶應義塾や時事新報の経営といった福澤の遺産を引き継ぐべく、コーネル大学やマサチューセッツ工科大学、ハーバード大学などで「知」を探究した。

近代日本の建設にとって、欧米の「知」が不可欠であったことは、論を俟たない。それを担うべき人々は、祖国や郷土、母校、家族などの期待を背負って、海を渡った。華やかではないが、しかし実直に、それぞれの分野でその使命を遂行した彼ら実務家の存在は、日本の重要な知的資源だった。

コロナ禍で激減した海外留学生数も、回復の兆しを見せつつある。新たにアメリカと出会う留学生たちにとって、かつてアメリカを知り、学び、そして戦った先人たちの歩みは、小さくない意味を持つはずだ。そんな期待を込めて、本書をまとめた。

アメリカ、近代日本、そして留学に関心を持つ読者に、手に取っていただきたい。

『慶應義塾の近代アメリカ留学生──文明の「知」を求めた明治の冒険』
小川原 正道
慶應義塾大学出版会
270頁、3,520円(税込)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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