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【執筆ノート】
『岡倉天心とインド──「アジアは一つ」が生まれるまで』

2023/07/18

  • 外川 昌彦(とがわ まさひこ)

    東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授・塾員

本書は、1902年にインドを訪れた岡倉天心の、インド知識人との知的交流のドラマを描いている。

執筆の切っ掛けは、高校生の頃に岡倉の著作を読んだ事にさかのぼる。インド滞在中に『東洋の理想』を執筆した岡倉が、しかし、インドで何をしていたのかは「謎」とされ、それは後々まで気になっていた。

三田の文学部では、文化人類学の鈴木正崇先生の門を叩き、大学院ではカルカッタに留学して現地調査も行うが、博士論文のテーマは農村社会研究だったので、岡倉の足跡をたどる作業は手付かずとなっていた。

帰国後、日文研の稲賀繁美教授のベンガル語資料の翻訳をお手伝いした時には、こういう研究は日本のベンガル研究者こそ取り組むべきと言われて、それは後々まで耳に残った。ただ、日印の交流は、まだ地味なテーマとされていた。

その後、中国の台頭に伴い、日印の経済連携協定や安全保障会議(クアッド)が発足し、インドは新たなグローバル・パワーとして注目される。インド映画もヒットし、2023年には世界一の人口大国となり、経済学部の神田さやこ教授には、義塾の出版助成への推薦をいただくことで、ようやく上梓の運びとなった。

ただ、こうして本書の発端をたどると、まだ中学生の時の社会科の授業が思い起こされる。福澤諭吉の「脱亜論」と岡倉の「アジアは一つ」が紹介されて、「君たちは西洋に付くのか、それとも、アジアと一緒か」と問い掛けられた。日本の行く末を定めるような二者択一の問いに答えられる者はおらず、難問として残されたのだが、それが本書の執筆の底流にはあったのかもしれない。

近年の研究では、1885年の「脱亜論」は、西洋列強に与する「入欧論」ではなく、甲申政変の挫折に由来する朝鮮支援への放棄の宣言とされる。植民地主義的状況からの脱却の呼びかけという意味では、岡倉の「アジアは一つ」は、福澤の問題意識を受け継ぐものであった。いずれも、二者択一の問いではなかったのである。

本書は、そんな日本にとってのインドの意味という明治以来の課題を、岡倉の視点を通してひも解いてゆく、知的探求の物語となっている。

『岡倉天心とインド──「アジアは一つ」が生まれるまで』
外川 昌彦
慶應義塾大学出版会
298頁、3,960円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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