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【執筆ノート】
『なぞること、切り裂くこと──虚構のジェンダー』

2023/06/22

  • 小平 麻衣子(おだいら まいこ)

    慶應義塾大学文学部教授

お手本のように書くためになぞり書きすることがある。熟達が期されるが、手本とは似つかないものになってしまう場合もあるし、何度も線が引かれた挙句、ついにはインクのにじみやペン先の鋭さが紙自体を切り裂いてしまうこともある。

社会的な存在である私たちの〈男らしさ〉や〈女らしさ〉は、生得的なものであるだけでなく、規範を学ぶことで獲得される部分が大きい。文学は自由な表現欲求に基づいて書かれていると思われがちだが、評論家や読者があり、認められなくては作家にはなれない。私たちの誰もが、世間の暗黙のルールと、それに合致しない自分との折り合いをつけながら、会話の言葉を選び、行動しているが、文学作品には、その過程が凝縮度の高い形で残されている。

本書では、日本近代文学の書き手たちが、先行するテクストを、自作を、何らかの形で書きかえた作品を取りあげ、その経緯に、社会で認められようとする戦略や、規範を変えようとする挑戦、拒絶して無名にとどまることなど、ジェンダーに関するそれぞれの選択を追った。

本書の主役は田村俊子であり、林芙美子であり、野上彌生子であり、倉橋由美子である。だが、一方の主役に、川端康成や太宰治、三木清、田辺元や江藤淳など、女性の書き手にかかわった男性たちを置いた。いずれも、文学や思想に大きな功績のある人物だが、女性の味方ではない。

とはいえ、大きな功績のある人物だが・・、と、思想や文学と、多くは男尊女卑の時代状況に帰せられる女性へのふるまいを分けて考えることそのものへの違和感が、着想の底にある。思想や文学そのものに女性を排除する理屈が含まれ、愛や助言として行われる抑圧が、テクストを攻防の舞台とする。

過去の文学作品や哲学のテクストについて、何回読み返しても新しい発見がある、とはよく言われることである。だとすれば、それは終わってしまったできごとではない。高名な著作の傍らで評価されなかったテクストを、評価の偏りに目を凝らし、新たな現在に対面するかのように読み直したのが本書の試みである。本書の立場が、次の読者にまた読み直されることを期待している。

『なぞること、切り裂くこと──虚構のジェンダー』
小平 麻衣子
以文社
304頁、3,080円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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