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【執筆ノート】
『旅するナラティヴ──西洋中世をめぐる移動の諸相』

2023/03/30

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  • 徳永 聡子(共編著)(とくなが さとこ)

    慶應義塾大学文学部教授
  • 大沼 由布(共編著)(おおぬま ゆふ)

    同志社大学文学部教授・塾員

本書の表紙を飾るのは、聖地カンタベリーへと向かう巡礼を描く中世のステンドグラスの写真である。撮影地はカンタベリー大聖堂、撮影者は慶應義塾大学文学部教授・松田隆美先生。「カンタベリー」、「巡礼」、「中世」というキーワードから、チョーサーの『カンタベリー物語』を想起する読者も少なくないだろう。この作品は、職業も身分も異なる巡礼者たちが聖地カンタベリーを目指しながら物語を語り合う、枠物語の形式で書かれ、西洋中世文学を代表するあらゆるジャンルを収めている。

この旅物語に、今回私たちが編纂した論集を重ねるのは不遜すぎるだろうか。執筆者15名はいずれも中世研究の旅人で、2023年3月末をもって定年退職を迎えられる松田先生のこれまでのご功績を祝す記念論集刊行という共通の目的のもと、聖地に向かう一行のごとく歩を進めた。中世研究を長年にわたり牽引されてきた松田先生は、中世ヨーロッパ文学について幅広い視野から、学際的に論じられてきた。ご自身が創設された「世界を読み解く一冊の本」シリーズの『チョーサー『カンタベリー物語』──ジャンルをめぐる冒険』(慶應義塾大学出版会、2019年)など、ご著作や発表論文は数えきれない。先生にとっても重要なテーマである「旅」を共通軸として、教え子や同僚たちが寄稿する形で本論集は編まれた。

中世から近世のヨーロッパが、様々な形の「移動」によって形成された流動的な社会であったことは、あまり知られていないかもしれない。またこの時代の文学研究が対象とするのは、狭義の文学作品だけでなく、説教、宗教書、実用書など多様な書を含み、その範囲は広く定義はゆるやかである。中世後期から初期近代のヨーロッパ社会を特徴づける、こうした流動性や多様性がいかなるものであったのかを、文字や視覚表象によって描かれた「旅」をめぐる言説や、旅した思想や概念の分析から掘り下げることが、本書の「旅」としての目的でもある。この刊行によって、中世世界の魅力が一人でも多くの読者に届くことを願う。旅がもたらす経験の蓄積と伝播とを担うものは、古来より書物であったのだから。

『旅するナラティヴ──西洋中世をめぐる移動の諸相』
徳永 聡子(共編著)・大沼 由布(共編著)
知泉書館
310頁、4,950円(税込)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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