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【執筆ノート】
『キリシタン時代の良心問題──インド・日本・中国の「倫理」の足跡』

2023/02/14

  • 浅見 雅一(あさみ まさかず)

    慶應義塾大学文学部教授

出版直後、拙著を手にした方々から、「立派な本ですね」というお言葉をたびたび頂いた。このようなお褒めの言葉を出版直後から頂いたのは、著者の力量によるものではなく、ほかならぬ表紙カバーのお蔭だろう。

表紙カバーには、南蛮文化館所蔵の「南蛮屏風」が使われている。南蛮文化館は、故北村芳郎氏が心血を注いで収集した南蛮美術品を基にして、1968(昭和43)年に大阪の中津にオープンした。小さな博物館ながら、南蛮美術の名品を多数所蔵している。この「南蛮屏風」は狩野派の絵師が描いたと推測され、現在、重要文化財に指定されている。

この「南蛮屏風」が名品であることも表紙カバーに使った理由ではあるが、最大の理由は表紙カバー表の書名の「良心問題」の文字の左隣に悔悛の秘蹟の絵があることである。キリシタンの武士がヨーロッパ人の司祭に障子を挟んで告解している様子が描かれている。長崎純心大学の片岡瑠美子学長によると、悔悛の秘蹟が描かれているのはこの屏風のみであるとのことである。

書名の「良心問題」は、悔悛の秘蹟に関係している。悔悛の秘蹟は、現在、「ゆるしの秘跡」と呼ばれる。信者が司祭に罪の告解をする。それに対して、司祭は信者にゆるしを与える。「ゆるし」は、「許し」とも「赦し」とも取れる。この場合の司祭は「聴罪司祭」とも呼ばれる。信者の告解内容は社会における倫理に関する具体的問題である。信者の告解に対して、司祭によって答えに違いが出たのでは明らかに不都合である。そこから、聴罪司祭のためのマニュアルが作成された。さらに、布教地においてはマニュアルには想定外の問題が浮上する。それでは、キリシタン時代に信者は司祭に何を告解し、司祭はそれにどう対応したのか。インド、日本、中国と、イエズス会の布教は進展していくが、それに伴い地域的、時代的に変化が見られる。本書はその変遷を追っている。

ところで、立派な表紙カバーが評価されるのは著者として大変嬉しい。画像の使用をご許可下さった南蛮文化館の矢野孝子館長に感謝したい。南蛮文化館は例年5月と11月に開館している。機会があれば、実物をご覧になることをお勧めしたい。

『キリシタン時代の良心問題──インド・日本・中国の「倫理」の足跡』
浅見 雅一 
慶應義塾大学出版会
324頁、5,500円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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