【執筆ノート】
『哲学の門前』
2022/12/23
これまで「大人の自由研究」――子どもが夏休みの宿題で行う自由研究の大人版――のようなつもりで本を書いてきた。『心脳問題』では脳科学、『理不尽な進化』では進化論、『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』では生命科学と認知科学について調べてまとめた。
それがこの夏、『哲学の門前』という、少し毛色の異なる本を出すことになった。
本書では、優れた専門家の仕事について調べるのではなく、私自身の平凡な経験を考察対象とすることに挑戦してみた。夏休みの宿題業界において自由研究と双璧をなすのが絵日記だとするなら、いわば「大人の絵日記」である。
雑誌連載がベースにあったせいか、幸いにして生みの苦しみはそれほどでもなかったが(連載時にすでに十分苦しんだ)、最後までモヤモヤしたことがある。文体(文末処理)の問題である。
『哲学の門前』は、私自身の見聞や経験を語る体験談パートと、それを学者や作家の力を借りて分析する考察パートを交互に織り合わせる構成になっている。試行錯誤のすえ、体験談パートは「である体」、考察パートは「です・ます体」と書き分けるかたちになった。
ちょっと困ったのは、「普通は逆ではないか?」という疑念を拭えなかったことである。一般に、「である体」は客観的、「です・ます体」は主観的な文章とされている。本書はその逆ではないかと。この疑念は刊行後もくすぶりつづけた。
そんな私の救世主となったのが、本書のひと月後に出た平尾昌宏氏の『日本語からの哲学――なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?』(晶文社)である。
平尾氏は同書で、「である体」は他者不在で成り立つ閉じた原理、「です・ます体」は二人称の「あなた」との間で初めて成り立つ原理によると論じる。それだ! 確かに私は、体験談はあくまで私だけが語ることのできる小話(アネクドート)として、他方で考察は読者との共同研究の叩き台として提示したいと思っていた。これでよかったのだ。
靄が晴れた気分である。おかげでぐっすり眠れるようになった。
『哲学の門前』
吉川 浩満
紀伊國屋書店
272頁、1,980円〈税込〉
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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吉川 浩満(よしかわ ひろみつ)
文筆家、編集者・塾員