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【執筆ノート】
『山手線の名建築さんぽ』

2022/12/14

  • 和田 菜穂子(わだ なほこ)

    東京家政大学造形表現学科准教授・塾員

「記憶の風景」。私は街の歴史や文化を象徴するのが建築の役割の一つであると考える。例えば御茶ノ水駅近くの《東京復活大聖堂》。「ニコライ堂」の愛称をもつ異国風な佇まいは今もなお見る人の心を惹きつけ、戦前に活躍した松本竣介ら数多くの画家が絵に収めている。解体されてしまった小さな木造駅舎の《原宿駅》もその周辺に群がる若者と一体化して私の記憶に定着している。慶應義塾のシンボルといえば多くの人は赤煉瓦の《図書館旧館》を思い浮かべるのではないだろうか。

このように記憶に定着した風景の多くには建物の外観が存在するが、建築ツアーの肝は内部見学である。空間体験を通じ、建築家のこだわりや所有者の思い入れ、増改築の変遷等を見て学ぶことができるからだ。しかし世界が一変した2020年4月以降、内部見学を伴う建築ツアーは中止せざるを得なくなり、私は家の中で悶々としていた。苦肉の策として思いついたのが、歩いて巡る山手線建築ツアーだった。《高輪ゲートウェイ駅》からスタートし、山手線30駅を1駅ずつ歩くことにした。回を重ねるにつれ、知らない街をリサーチし、起伏のある地形に興味を持つようになった。点と点(建築と建築)をつなぎ合わせることで、東京の街を面で捉えるようになり、大名屋敷の跡地利用など時代の移り変わりや歴史的背景への理解も深まった。また健脚自慢のリピーターたちはいつしか一万歩超えを目指すようにもなった。

ところが山手線ツアー2周目に突入すると、すぐに違和感を覚えた。建築の喪失である。個人邸宅を現代美術館に変えた《原美術館》、箱形のユニットがランダムに積み重なった《中銀カプセルタワービル》などが見慣れた風景から姿を消した。私はこれら名建築の解体のニュースを耳にするたびに呆然となった。建築の寿命とは何だろうか? そして自分にできることは何かと考えた末に立ち返ることになったのが建築ツアーだった。今、そこにある風景を目に焼き付け、建物の声に耳を傾ける。空間体験を皆で共有する。ツアーの記録を写真やテキストでアーカイブ化する。建築ツアーは私が見つけたライフワークである。

『山手線の名建築さんぽ』
和田 菜穂子 
エクスナレッジ
224頁、1,980円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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