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【執筆ノート】
『鍵盤の天皇──井口基成とその血族』

2022/08/18

  • 中丸 美繪(なかまる よしえ)

    ノンフィクション作家・塾員

昨年の第18回ショパン国際ピアノコンクールで日本人2人が入賞し、新聞は「日本もついにここまで来たか」と書き立てた。しかしすでに1970年の第8回同コンクールでは内田光子が2位入賞を果たしていた。

その中心にいたのが井口基成である。吉田秀和は「彼はデーモンに取り憑かれた、稀有の人だった」と追悼している。というのも、16歳という晩学ながら基成は東京音楽学校(現東京藝術大学)を首席卒業。留学を経て、唯一ベートーヴェンの協奏曲第五番「皇帝」を弾きこなせたこと、また巨体と物怖じせずに正論を発する圧迫感と優しさをあわせ持つ人望から「天皇」と呼ばれていた。

門弟3,000人に上り、「井口一門にあらざればピアニストにあらず」と言われる隆盛を誇った。本塾出身の故中村紘子も井口門下である。

35歳で帝国芸術院賞を授与され、戦中には潜水艦の判別音感教育に少佐待遇で関わったが、それを批判したか、肥桶をかつぐ陸軍最下の2等兵として召集された。戦後は母校で戦犯と名指しされ辞職、その後、斎藤秀雄や吉田秀和と設立したのが「子供のための音楽教室」である。

この教室の成果から高校音楽科を望む声が高まり、動いたのが父兄だった三井不動産の江戸英雄である。江戸によると、1951年の開校を最初に打診したのは慶應だという。ところが塾の方は日吉校舎がGHQに接収されるなど混乱が続き、結局、引き受けたのは桐朋女子高等学校で、音楽科1期生となったのが小澤征爾ら男4人を含む50人である。

井口のレッスンは怒鳴り、手も出るほどだったが、父兄の信頼も篤く、学生たちは世界へと巣立っていった。日本のピアノ販売台数もこの時代にピークとなった。

古典から現代を網羅する演奏会や「世界音楽全集」49巻の楽譜校訂など、超人的業績の一方で、酒と美食に明け暮れ、熟年にはスキャンダラスな恋愛もした。

樹木が高ければその影も濃く長い。栄誉と転落と修羅。人間として可能なすべてをこの巨人は生きた。連載6年。全国に関係者150人を訪ねた私も、その軌跡を辿り基成の時代を生きることができた。

『鍵盤の天皇──井口基成とその血族』
中丸美繪
中央公論新社
632頁、3,300円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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