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【執筆ノート】
『日本近代社会史─社会集団と市場から読み解く 1868-1914』

2022/07/28

  • 松沢 裕作(まつざわ ゆうさく)

    慶應義塾大学経済学部教授

慶應義塾大学経済学部には「社会史」という科目がある。「社会史」という科目が、専門科目として設置されている経済学部を、筆者は他に知らない。詳細を論じる紙幅の余裕はないが、これはとてもよいことだと考えている。もっとも筆者はその科目の担当者なので、この主張は割り引いて考える必要があるかもしれない。

さて、本書は、この「社会史」の一学期分の講義ノートをもとに書かれた。筆者は、時期と空間を、19世紀後半から20世紀初頭の日本とした上で、その構造をできる限り全体的に提示することによって、科目の性質上求められる全体性を、現実的な制約のもとで実現することを試みた。経済史、政治史、教育史などで個々に扱われているトピックを「市場と社会集団」という軸を通すことで再配置したのである。

この講義を書籍化する計画は以前からあったのだが、これが一挙に現実化したきっかけは2020年度講義のオンライン化であった。最初は通信データ量のことさえ気にしなければならなかった。講義内容を文章にしてしまえば動画配信よりずっとデータ量は少なくなる。こうして、毎週テキストを一章書いては受講生に共有する生活が始まった。

もちろん、音声の配信もやった。毎週内容を補いつつ、受講生からのコメントのいくつかを紹介しながら、それにリプライをしていた。これが意外に好評だった。教室に一緒にいなくとも、他の受講生の反応や思考に触れられるのがよいという声もあった。言うまでもなく、受講生のコメントはテキストの質の向上に役立った。

これは、オンラインならではの特性を生かした工夫などとはとても言えまい。あたかもそれはテキストをもとにリスナーからのお便りを紹介するラジオ番組のようであり、旧メディアへの撤退によって危機を凌いだ類のものだ。しかし、危機を変革への好機として利用しようとしたことの悲惨な帰結が歴史上少なくないことを思えば、「紙の本」という、至って古典的な形態をもって、講義内容が本書に結実したことは、控えめに言っても「悲惨」ではなかろう、と筆者は自負している。

『日本近代社会史─社会集団と市場から読み解く 1868-1914』
松沢裕作
有斐閣
284頁、2,640円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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