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【執筆ノート】
『人間は利己的か─イギリス・モラリストの論争を読む』

2022/07/22

  • 柘植 尚則(つげ ひさのり)

    慶應義塾大学大学院文学研究科教授

このところ、他人の利益をめざす〈利他〉がちょっとしたブームになっていて、タイトルに〈利他〉の付いた本もたくさん出ている。〈利他〉がちょっとしたブームになるのは良いことにちがいないが、それは、自分の利益をめざす〈利己〉が現代では当たり前になっている、ということでもある。だが、歴史を振り返ると、古代や中世では〈利己〉は強く戒められてきた。では、〈利己〉はいつごろ、どのようにして当たり前になったのだろうか。本書では、近代イギリスのモラリスト(道徳思想家)たちの論争を辿ることで、そのことを明らかにした。

近代のイギリスでは、利己心(自己愛)をめぐって、モラリストたちが議論を交わしてきた。近代の政治社会の基礎を築いたトマス・ホッブズは、人間は生まれつき利己的であると考えたが、多くのモラリストは、ホッブズに反対して、人間は生まれつき利他的でもあると考えた。だが、彼らは利己心を否定するどころか、利己心をおおむね肯定し、なかには、利己心を正当化しようとする者も現れた。たとえば、近代の経済社会をいち早く論じたバーナード・マンデヴィルは、利己心は社会に利益をもたらすと主張し、経済学の父として有名なアダム・スミスは、自由な社会では個人の利益と社会の利益が一致すると主張した。また、ホッブズ、マンデヴィル、スミスを批判したモラリストたちも、利己心を合理的なものと捉えたり、利己心と利他心(仁愛)の調和を唱えたりすることで、利己心の正当化に寄与することになった。近代のイギリスでは、このようにして〈利己〉が当たり前になったのである。

この論争は、近代イギリスのモラリストたちの間でなされたものではある。しかし、イギリスが近代をリードしてきたこと、ホッブズやスミスが近代の社会の形成に大きな影響を与えたこと、そして、近代の社会が現代のわれわれの社会につながっていることを考えると、この論争のもつ意味は重要である。〈利己〉が当たり前になっている現代にあって、〈利他〉をブームに終わらせないためには、この論争を踏まえて、〈利己〉についても改めて考える必要があるだろう。

『人間は利己的か─イギリス・モラリストの論争を読む』
柘植尚則
慶應義塾大学三田哲学会叢書
106頁、770円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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