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【執筆ノート】
『台湾で日本人を祀る──鬼(クイ)から神(シン)への現代人類学』

2022/06/23

  • 三尾 裕子(編著)(みお ゆうこ)

    慶應義塾大学文学部教授

ある日、台湾先住民社会の研究者から、牡丹社事件に関係した日本人が神として祀られている東龍宮という宗教施設を訪問した、というメールを頂戴した。牡丹社事件とは、1871(明治4)年に台湾に漂着した琉球の人々が先住民に殺された事件と、その報復として、1874(明治7)年に日本が行った台湾出兵とを指す。政府は、琉球人を日本人と巧妙に定義づけ、犯罪捜査の名目で先住民に対する討伐を正当化した。

この事件は、近代日本が海外植民地を持つきっかけとなった。今日なら国際法違反と非難されそうな、非自国領での軍事行動を行った関係者、そして後に統治者となった日本人が、現在神となっていることを、どう理解すればいいのだろう。

じつは、台湾で日本人が神になった寺廟には、私もかつて何度か行ったことがあった。これらの神の中には、さまざまな願い事をかなえてくれる霊験あらたかな神もいる。私はこれらの寺廟に対して漠然と違和感を感じていたが、上記の研究者から連絡を受けて、これ以上この違和感を放置できない気持ちになった。

近代に入ってからの日本の「神」は、国家神道と結びつけられ、国のために命を捧げた英霊という意味を持つようになった。その文脈から考えると、台湾人も大日本帝国のために尽くした人物の霊魂を神として認めた、つまり、台湾人が日本の植民地支配を肯定している、そしてさらに言えば、台湾人が親日であることの一つの証左がこうした信仰の中に見られる、ということになる。

しかし、本当にそうなのだろうか? なぜ彼らは日本人を神として祀るのだろうか? 本書では、50カ所近くで行った寺廟調査からこの疑問に答えようと試みた。

詳細は是非本書を読んでいただきたいが、信仰対象としての日本人を台湾の漢民族の宗教信仰の構造の中で理解することで、別の世界が見えてくると言っておこう。また、今日の台湾では、日本人を祀る寺廟は宗教的な文脈を超えて、消費対象としての「日本」を生み出している。何より日本の読者には、台湾で日本が「良い」植民地支配を行ったという物語への欲望をいったん脇に置いて、本書を読んでみてほしい。

『台湾で日本人を祀る──鬼(クイ)から神(シン)への現代人類学』
三尾裕子(編著)
慶應義塾大学出版会
384頁、5,940円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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