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【執筆ノート】
『インテンション──行為と実践知の哲学』G・E・M・アンスコム著

2022/06/14

  • 柏端 達也(訳)(かしわばた たつや)

    慶應義塾大学文学部教授

本書は20世紀を代表するイギリスの哲学者エリザベス・アンスコムの3つのテキストの翻訳である。主要部分のIntention(1957)は2度目の翻訳となる。旧訳は入手困難になって久しいので、このタイミングでの新訳はきっと有益であると思う。

表紙を見てほしい。ワニがいる。本書においてワニは重要な例の一つに登場する。ワニの咆哮に驚いてあなたが思わず後ずさりをしたとしよう。後ずさりはあなたのしたことであり、あなたはもちろん自分が何をしたかを知っており、どうしてそうしたのかもすぐに答えられる(「いきなり吠えたから…」)。だがその後ずさりは意図的な・・・・ものではないだろう。意図的な行為とは何なのか。ワニに驚くケースとどう違うのか。それが本書の問いの一つである。アンスコムは、両者の区別が容易でないことを慎重に確認しつつ(そしてその確認の過程が重要なのだが)、「意図的行為」の本性を明らかにしていく。

じつは裏表紙にはポンプが描かれている。本文では、意図的行為のもたらす複雑な秩序を論じるさいにポンプが登場する。ポンプは洗練された道具であり、その操作は典型的に意図的な行為となる。ポンプを操作する行為は、行為者自身の知識や状況の展開に応じて多様なパターンを形成しうる。そこで問題となるのは行為がどのような・・・・・意図で為されたかである。一つの論点は、ポンプ操作という平凡な行為が、条件しだいで、独裁者の暗殺という大それた行為になりうることである。この論点は、今回あわせて翻訳したアンスコム怒りの論稿「トルーマン氏の学位」においても、重要な意味をもつ。すなわちある条件のもとでは、書類へのサインが民間人の意図的な虐殺行為にほかならない・・・・・・のである。

アンスコムの著作はよく難解だと言われる。たしかに微妙なテーマを複雑な構成で論じる傾向はあると思う。しかしけっして意味不明なものではなく、むしろその個々の哲学的主張は明確である。真に新しい問題圏を手探りで浮かび上がらせようとしたとき、著作はしばしばそのような複雑さを帯びる。多くの「古典」はそうではないだろうか。結論を急がず、適切なペースで読むならば、本書から得られるところは多いはずだ。

『インテンション──行為と実践知の哲学』 G・E・M・アンスコム著
柏端達也(訳)
岩波書店
296頁、3,740円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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