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【執筆ノート】
『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?──生きものの"同定"でつまずく理由を考えてみる』

2022/03/30

  • 須黒 達巳(すぐろ たつみ)

    慶應義塾幼稚舎理科教諭

ものを見て名前がわかることは、その人にとっての「世界の見え方」を左右します。例えば、植物の名前を知らなければ、私たちの視界に入る草木は「景色」として処理され、特に気にとめることもない場合が多いでしょう。よく観察しようにも、名前を知らないものに対して頭の中で情報を付与していくのは、どうもやりづらいような感覚があります。名前を知ることで、私たちは景色から「個物」を抽出し、観察し、「これはこういうものだ」と、自分の認識の中に取り入れることができます。私が関心を抱いている主な対象は生き物ですが、人工物であれ、形のない概念的なものであれ、名前が認識の入り口であることは、ある程度普遍的に当てはまると考えます。名前を知っているかどうかで、自分にとっての世界の豊かさが変わるのです。

生き物に関して言えば、名前を知る、すなわち同定をするには、多くの場合「図鑑」を参照します。ところが図鑑というものは、辞書を引くように誰もが正解にたどり着けるわけではありません。図鑑を見てもよくわからない、という状況がしばしば生じます。ここでは、図鑑の使い手と、その生き物を区別して認識することのプロである作り手の間に、ギャップがあります。「見てもわからない」のは、作り手の認識を使い手がうまく共有できていないためです。これまでは、「使い手の修業あるのみ」で片付けられてきましたが、「なぜわからないんだろう」「どういう過程を経て、どんな認識の変化があって、わかるようになるんだろう」「そのためには、使い手と作り手は、それぞれ何を意識していればいいんだろう」といったことをゆっくり考えてみようと思い、筆を執りました。

私の専門はクモの分類学ですが、趣味や仕事で専門外の生き物を調べる機会も多くあり、また教員業の中では、児童の認識の変化を目の当たりにでき、図鑑とは無関係に思える場面も含め、様々なところから本書のテーマのヒントを得ることができました。図鑑のことを書いていながら、実は向き合っていたのは自分の内なる認識だったように思います。表題の問いを、様々な分野の方と共有することができたなら、著者冥利に尽きる思いです。

『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?──生きものの“同定”でつまずく理由を考えてみる』
須黒達巳
ベレ出版
184頁、2,200円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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