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【執筆ノート】
『書物に魅せられた奇人たち──英国愛書家列伝』

2022/03/23

  • 髙宮 利行(たかみや としゆき)

    慶應義塾大学名誉教授

『本の世界はへんな世界』を上梓して9年、その間黙過したわけではない。出版社幹部と、本の受容の諸相を扱う不定期の『書物学』を発案、「英国愛書家の系譜」を連載した。エリザベス一世の魔術師ジョン・ディーや喜劇王チャップリンのような著名人から、「正直者トム」・マーティン、国王を怒らせたピーター・ヘイリンなど、無名人まで16人をとり上げた。1冊にするため経済学者ケインズの弟や、T・J・ワイズの偽造を暴露したのに本人もスパイだったグレアム・ポラードらを加えて、19人の奇人変人を俎上にのせた。

各章では、1人の愛書家の背景を明らかにし、茅屋(ぼうおく手沢本(しゅたくぼん)を紹介する順で進めた。最終章「愛書家よ、永遠なれ」では、1972年の日中国交正常化の会談で毛沢東主席から『楚辞集注』の寄贈を受ける田中首相の写真を掲載した。この奥深い文化が続くよう願うのは望蜀か。

古書マニアは体験していようが、逸品は古書店の閉店間際に見つかる。ある時図書館での写本転写に疲れた私は、ケンブリッジのマーケットそばのG・デイヴィッド書店で、ウィンドウを覗いた。ここは戦前から幾多の愛書家が育った店である。本書のカバーに用いたのは、窓辺にあった詩集の蔵書票だ。

閉店まで数分。件の本を購入するのに1分もいらない。これは剣橋(ケンブリッジ)の古典学者・詩人で同性愛者A・E・ハウスマンの傑作『シュロップシャーの若者』だった。だが窓辺にあるのは標題紙ではなく蔵書票だ。最上部にはチャップリンとある。その図像的解釈は本書に委ねる。献辞は「チャーリーへ、誕生日に、フローレンス、1920年4月16日」。

フローレンスをチャップリンとともに検索すると、姓はデションと判明、無声映画の三流女優だった。喜劇王の自伝にはないが、彼の友人で評論家M・イーストマンの回顧録『愛と革命』には物憂げな写真がある。フローレンスはNYではイーストマンと、ハリウッドではチャップリンと、二股をかけていたのだ。胎児を宿し、自殺か事故死か、早世した。

戦場に向かう若者が熱唱した『シュロップシャーの若者』を、フローレンスがチャップリンの誕生祝いに贈った理由が気になるが、紙幅が尽きた。

『書物に魅せられた奇人たち──英国愛書家列伝』
髙宮利行
勉誠出版
256頁、4,180円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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