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【執筆ノート】
『立ちどまらない少女たち──〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ』

2021/11/24

  • 大串 尚代(おおぐし ひさよ)

    慶應義塾大学文学部教授

本書は、アメリカ文学研究者の視点から、明治以降のアメリカ文学の翻訳、第二次世界大戦後の民主化政策を手がかりに、「アメリカ」がいかに日本の少女文化において表象されてきたかをたどる試みである。

本書の構想のきっかけは、1997年に始まった「キャンディ・キャンディ裁判」だった。これは、70年代に一大ブームとなった少女マンガ『キャンディ・キャンディ』の原作者である名木田恵子氏と、マンガ家いがらしゆみこ氏が、作品の権利をめぐって争った裁判である。同作品とともに少女時代を送った筆者は、少なからぬ興味をもって裁判の行方を見守っていた。名木田・いがらし両氏それぞれのウェブサイトで、本作成立に至るまでの見解を読んでいた私は、あることに気づいた。

『キャンディ・キャンディ』は、20世紀初頭のアメリカが舞台になっており、孤児のキャンディが持ち前の明るさで苦難を乗り越え、看護師として成長する物語である。この作品を作るにあたり、名木田・いがらし両氏は、『赤毛のアン』を始めとした外国の児童文学作品を、モデルとしていたことがわかった。たしかに同作品には、改めて考えると『赤毛のアン』を始め『秘密の花園』『あしながおじさん』を想起させるモチーフがちりばめられていた。

そのとき私はふと考えたのである。私がアメリカという国を知り、上記のような文学作品を読み始めるきっかけは、少女マンガにあったのではないかと。つまり、現在私のアメリカ文学研究の原点は、外国を舞台にした少女マンガにあったのではないか、ということだ。

明治以降、『アンクル・トムの小屋』『若草物語』『小公子』といった作品が次々に日本に紹介されていく。こうした「外国」表象は『少女の友』などの少女雑誌を通じて少女たちに受容され、それは戦後の少女マンガ雑誌へ引き継がれる。

少女マンガというジャンルは、「アメリカ」をどのように表現してきたのか。文化的に下位に位置づけられることの多い少女マンガこそが、多くの読者たちにとって「ここではないどこか」への入口だった。それは本邦における文化受容と翻訳の歴史に支えられていた。

『立ちどまらない少女たち──〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ』
大串 尚代
松柏社
268頁、2,750円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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