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【執筆ノート】
『南島に輝く女王 三輪ヒデ──国のない女の一代記』

2021/08/30

  • 倉沢 愛子(くらさわ あいこ)

    慶應義塾大学名誉教授

祖国の革命(1917年)のため日本へ亡命してきた白系ロシア人と結婚し、1920年頃オランダ統治下の南国の島ジャワへ移民した明治の生まれの日本女性、三輪ヒデの一代記である。異国で農園を切り開き、9人の子供を産み育て平和に暮らしていたが、「大東亜」戦争の開戦、そして日本軍による占領で一躍国際政治の荒波の中に放り出された。一家をあげて「祖国」日本に協力するが、日本軍が戦いに敗れて引き揚げて行ったのちは、戻ってきたオランダによる責めを一身に受けることになった。ヒデ夫妻は、日本の支配下でオランダ人に対してハラスメントをしたとして追及され、有罪判決が出て投獄されたのである。

そのことを記したオランダの文書を偶然文書館の片隅で見つけたことから、私は三輪ヒデの存在を初めて知り、この未知の女性に魅せられていった。ヒデの死後20年以上たっていたが、9人の子供のうちただ1人インドネシアに残っていた娘リリーと運よく出会うことができ、そこから15年の歳月をかけ、世界各地に離散していた他の子孫を追いかけて聞き書きを続けた。手探りでその生涯を紐解くと、そこには驚くようなロマンや葛藤や喜怒哀楽があった。

ヒデは、オランダの獄から釈放され、いったん平穏な生活に戻ったものの、オランダを追い出して独立を達成したインドネシアにおける生活は居心地の悪いものであった。スカルノ政権は脱植民地化に向けて燃え滾るナショナリズムのもとで、外国人の資産国有化を行うなど急進的な政策をとり、「よそ者」であったヒデたちの生活も影響を受けるようになった。白系ロシア人の夫とは離婚して、そのまま無国籍になっていたヒデは、オランダ人の青年と偽装結婚してオランダへ渡ったが、そこでも居心地の悪さを感じ、次いでアメリカへの移住を決意する。「私は一体なに人?」という問いに常に突き当たりながら、異国で過ごしたが、晩年になると最後は、彼女が最も輝いていた時代を過ごしたインドネシアに戻る決意をし、そこで86歳の波乱万丈の生涯を終えた。困難に立ち向かい、また「国」という境にとらわれず、グローバリズムを地でいくような先駆的な女性の生き様であった。

『南島に輝く女王 三輪ヒデ──国のない女の一代記』
倉沢 愛子
岩波書店
252頁、2,750円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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