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【執筆ノート】
『どのアメリカ?──矛盾と均衡の大国』

2021/08/18

  • 阿川 尚之(あがわ なおゆき)

    慶應義塾大学名誉教授

本の執筆にあたり、予め綿密な計画を立てたことがない。常に何か偶然のきっかけがあって手探りのまま書きはじめる。今回もそうだった。

あとがきに記した通り、ある会合へ出席した際、テーブルに時計を置き忘れた。その日隣に座り初めて言葉を交わした人が、気づいて郵便で送ってくれた。本書の企画・編集にあたったミネルヴァ書房の堀川健太郎さんである。時計を置き忘れなければ、この本は世に出なかった。

京都で再会した堀川さんは、私にアメリカについて講演をしないか──そう切り出した。速記録をまとめれば本になる。

遅筆の私にとって悪くない提案だった。うまくいけば1年以内に本ができる。そう思って引き受けたのは楽観的に過ぎた。実際の完成には、それから6年近くかかった。

なぜこんなに時間がかかったのか。速記録に残る私の話し言葉は、文章としてとても読めるものでなかった。3回ほど全体を通して大幅に書き直した。トランプ大統領の4年間があまりに波乱万丈で、すくんでしまった……。他にも理由があるが、これ以上言い訳はすまい。

ただし本書で取り組んだ全体のテーマは、講演の日から本の校了まで変わらなかった。各々の利益、思想、信条、価値観が極めて多様なアメリカでは、矛盾と対立が常態である。むしろ対立する同士がぶつかり合うことによって互いに牽制し抑制し合い、一種の均衡が生まれる。激しい矛盾が安定を生むという、それ自体矛盾に満ちた現象こそが、この国の強みなのかもしれない。そう論じた。

本書が完成に近づいたとき、私たちはいくつか題名案を出し合ったが、どれもピンとこない。最後に山崎正和氏の名著『このアメリカ』をもじった『どのアメリカ?』に決めた。

最近、アメリカの一面だけ見て国全体につき断言する論者をしばしば見かける。確かにトランプのアメリカもハリウッドのアメリカも、それぞれ間違いなくアメリカだが、全てではない。どのアメリカについて語っているのかを明らかにしなければ、知的に正直でない。そのことを踏まえた上でこの国を大いに論じ、もっと知ろう。題名を通じて伝えたい、私のもう1つのメッセージである。

『どのアメリカ?──矛盾と均衡の大国』
阿川 尚之
ミネルヴァ書房
272頁、2,860円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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