【執筆ノート】
『宗教の経済学──信仰は経済を発展させるのか』ロバート・J・バロー、レイチェル・M・マックリアリー 著
2021/07/08
60歳でビジネスマンを卒業したあと、長年の夢だった出版翻訳者に転身し、すでに15年になる。翻訳という仕事には、バイオリニストが名曲を恍惚として演奏するのに似た興奮をいつも感じる。以前、『良い資本主義、悪い資本主義』という経済学書を翻訳したことがあり、それを見て編集者の方から本書へのお声がけがあったものと思う。
さて、本書は米国の著名な経済学者であるロバート・バローと、倫理学者のレイチェル・マックリアリーの夫婦による著作であり、宗教という途方もなく巨大で、人知を超える存在に対し、経済学という科学の光をあてたらどう見えるかという挑戦の書である。あたかも宗教をまな板に載せるかのごとく、不敬で、無謀な試みにも見えるが、実は同様のことに過去の思想家たちも挑んできた。アダム・スミスからマックス・ヴェーバーが有名な例であるが、最近では経済学者のローレンス・イアナコーンなどの研究があり、それらが分かりやすく紹介されている。同時に、著者たちは近年の豊富なデータを駆使して、これらの主張を検証している。
本書を支える支柱のうち、私が特に興味深く感じるのは次の問である。
①ヴェーバーは信仰が節約、正直、勤勉を信者に説いたことで、産業革命期の経済を発展させたと主張する。その後国々が豊かになると宗教離れが進行するとも予測した。では経済発展が進むと、世界から宗教は消滅するのだろうか。
②近年のイスラム原理主義やカルトが何故テロを煽るのか。戒律の厳しい宗教と、緩い宗教が併存するのは何故か。
③既存のどの宗教にも属さず、祈りだけ捧げる「ナンズ」というグループが増大している。これが今後の主流になるのだろうか。
これらの問に、著者らは丁寧に答える。
本書の一節にこうある。「宗教と科学は共にこの世の不可解なことを説明しようとするが、宗教は一定のところで、人を優しく抱き止めてくれる」。歴史的に、宗教と感染症とは深い関係にあった。今、コロナの時代に、もし多重の変異株が科学の手に負えなくなったとき、宗教は再び光芒を放つのだろうか。
『宗教の経済学──信仰は経済を発展させるのか』ロバート・J・バロー、レイチェル・M・マックリアリー 著
田中 健彦(訳)
慶應義塾大学出版会
264頁、2,970円〈税込〉
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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田中 健彦(訳)(たなか たけひこ)
著作家、翻訳家・塾員