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【執筆ノート】
『帝国大学の朝鮮人──大韓民国エリートの起源』鄭鍾賢(チョン・ジョンヒョン)著

2021/06/09

  • 渡辺 直紀(訳)(わたなべ なおき)

    武蔵大学人文学部教授・塾員

ある日、韓国留学時代の後輩の鄭鍾賢氏からメールを受け取った。日本の出版社から自著を翻訳したいとオファーが来た、ついては翻訳をはじめ諸般の対応を頼む、という内容だった。原著が出た一昨年6月の直後に、私はソウルで彼と会い、直接本の寄贈を受けていた。母校・東国大近くの冷麺屋でのことだった。同席した面々によると、本書が刊行後とても評判で、著者もインタビューなどで大忙しとのことだった。ただ私はそのことよりも、彼がポスドク研修で京都に1年滞在して以来の作業──帝国大学朝鮮人留学生研究の成果の一端が、ようやくまとまって公刊されたことの方が嬉しかった。

これまで、植民地時代の日本留学生や東京留学生の研究は韓国でも日本でもあった。そこで朝鮮半島からの日本留学生といえば、開化期は慶應義塾、植民地時代は早稲田と決まっていた。しかし植民地体制が定着し、また独立してからもしばらくの間、朝鮮半島の政官財界・学界の中心にいたのは帝大出身者だった。とくに三高は植民地出身者に開かれていて帝大卒業生の中でも多くを占めた。

本書のタイトルから見て、硬派の内容を想像する方も多いだろう。本書はそのような読者の期待に対しても十分に応えている。だが一方で本書に織り交ぜられた、朝鮮人帝大出身者らにまつわる数多くのエピソードは、読者たちの歴史理解を平板なものに終わらせない。たとえば、進路選択などで、父親との葛藤が絶えなかった歴史家・崔南善(チェ・ナムソン)の三男・崔漢儉(チェ・ハンコム)が、結局、朝鮮戦争のときに人民軍とともに北朝鮮に渡るものの、その数年後に南で他界した父親の葬儀の弔問に、日本の友人を代わりに送るくだりなどは感動的でさえある。

本書では東京帝大と京都帝大出身者について詳しく紹介・分析されているが、さらに他の帝大に範囲を拡げると、もう少し複雑なマッピングが可能になるかもしれない。また単に出身者の動きだけでなく、日本のアカデミズムが解放後の朝鮮半島の南北と交渉した歴史も分析すれば、東アジアの一角における〈知〉の言説形成の経緯が明らかにできるかもしれない。本書はその叩き台を韓国や日本のアカデミズムに提出したと言えるだろう。

『帝国大学の朝鮮人──大韓民国エリートの起源』鄭鍾賢(チョン・ジョンヒョン)著
渡辺 直紀(訳)
慶應義塾大学出版会
352頁、3,740円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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