三田評論ONLINE

【執筆ノート】
『フォルモサ──台湾と日本の地理歴史』ジョージ・サルマナザール著

2021/05/22

  • 原田 範行(訳)(はらだ のりゆき)

    慶應義塾大学文学部教授

本書は、奇書として知られる『フォルモサ』の本邦初訳である。原書は、1704年、ロンドンで刊行された。サブタイトルにあるとおり、「台湾と日本の地理歴史」が主な内容だが、著者サルマナザール(偽名)による実地調査の記録などでは、もちろんない。サルマナザールは、当時のヨーロッパで流通していた台湾および日本に関する情報をかき集めて「フォルモサ」なる国を精緻に作り上げた上で、自分はそこで生まれ育ち、やがてヨーロッパに渡ってイギリス国教会に改宗したと詐称するのである。彼が南仏出身で、ヨーロッパ各地を転々とした後、イギリス国教会に改宗してロンドンに現れたというあたりは伝記的事実と考えられるので、本書の後半部に見られる彼の改宗の軌跡は自伝的と言ってもよい。そういう奇書が、18世紀初頭のロンドンおよびヨーロッパで一世を風靡した。ニュートンを総裁とするイギリス王立協会は、彼を招聘して公聴会を開き、ハレー彗星の発見者であるエドモンド・ハレーなどが、フォルモサ人としての真偽を問いただすも、詐術にますます磨きがかかるばかり。サルマナザールは、平然とオクスフォード大学で「フォルモサ語」なる言語を講じてもいる。

こういうフィクション満載の本書だが、すべてを「作り話」と片づけてしまうことは、もちろんできない。サルマナザールのかき集めたフォルモサ情報自体が虚実ないまぜであるし、改宗をめぐる教義論争は、むしろ彼の率直な意見表明として精彩に富む。フォルモサでは皇帝が暗殺されたことがあって、「そんな残忍なことは到底信じられない」などと言うイギリス人に対して、チャールズ1世処刑に言及して「あなたの国でも同じです」と嘯(うそぶ)くサルマナザールに、読者はむしろ喝采を送ってしまうのではあるまいか。『ロビンソン・クルーソー』や『ガリヴァー旅行記』といった近代小説黎明期の作品が続々と登場する中にあって刊行された本書は、ファクトとフィクション、事実と思われているものと人間の想像/創造力との微妙な境界を浮かび上がらせている。奇書であり偽書である本書のリアリティは、まさにその境界線上に輝いていて、それが現代の読者をも魅了するのである。

『フォルモサ──台湾と日本の地理歴史』ジョージ・サルマナザール著
原田 範行(訳)
平凡社ライブラリー
424頁、1,980円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事