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【執筆ノート】
『明治十四年の政変』

2021/05/18

  • 久保田 哲(くぼた さとし)

    武蔵野学院大学教授・塾員

いまでこそ「私学の雄」たる慶應義塾も、何度も経営危機に瀕してきた。なかでも、明治10年代前半は、深刻な危機として知られる。

明治10(1877)年の西南戦争後のインフレーションにより、多くの士族が困窮すると、塾生の多くが士族であった慶應義塾への入学者が大幅に減少した。明治11年から12年にかけて、福澤は大隈重信や伊藤博文、黒田清隆など、明治政府の実力者たちに、慶應義塾を維持するための経済支援を求めた。福澤によれば、大隈はこれに前向きであったものの、伊藤らが難色を示し、叶わなかったという。

意趣返し、というわけではなかろうが、福澤はその直後より、『国会論』や『民情一新』を著し、イギリス流の議院内閣制の導入を訴えた。これが契機となり、在野では議会開設要求が隆盛し、薩長藩閥批判へと展開していった。

このとき、誰よりも福澤を危険視した人物が、伊藤博文の懐刀として知られる井上毅(こわし)であった。福澤の主張する議院内閣制とは、選挙の結果が内閣の構成にも影響する制度である。つまり、これが導入されれば、明治政府を支えた面々がこぞって姿を消すこともありうる。

井上の暗躍もあり、明治14年の政変の結果、イギリス流の議院内閣制の導入は見送られた。同時に、尾崎行雄や犬養毅、中上川彦次郎、矢野文雄(龍渓)など、福澤門下の若手官僚の多くが官界から追放された。慶應義塾から官途に就くことは困難となり、その帰結が「実業界に強い慶應義塾」であった。

また、文部省による私学冷遇政策も続いた。その象徴が、私学に対する徴兵猶予の特典喪失である。慶應義塾にこれが与えられたのは、明治29年──井上が没した翌年のことであった。

さて、本書は、上述のように福澤諭吉や慶應義塾にも多大なる影響を与えた明治14年の政変について、その実相や原因などをまとめたものである。福澤や慶應義塾のみならず、憲法制定や議会開設、財政など、多様な視座からの考察が可能な明治14年の政変。関心を持たれた方は、ぜひ本書を手に取っていただきたい。

『明治十四年の政変』
久保田 哲
集英社インターナショナル新書
280頁、1,012円〈税込〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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