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【執筆ノート】
『落語の行間 日本語の了見』

2021/02/08

  • 重金 敦之(しげかね あつゆき)

    文芸ジャーナリスト・元「朝日新聞」・元常磐大学教授・塾員

昭和20年代の娯楽といえば、ラジオから流れる落語くらいだった。1台のラジオを一家で囲み、志ん生や文楽の落語を聞いた。ときどき停電になったのも今では懐かしい。

落語に登場する人物は善人ばかりではない。盗人も出てくるが、凶悪な強盗はいない。空き家に間違って入ったり、恐喝するつもりが初手と見破られ、逆に身ぐるみ差し出して許しを請うようなまぬけが多い。

落語は1つの仮想都市を形成しているといえる。だから「落語国の住人たち」と呼ぶ人もいる。都市は見栄えのいい奇麗なところばかりでは成り立たない。盛り場に芝居や見世物の小屋ができれば、それを仕切る親分がいる。寺社の縁日も同様だ。色街があれば、闇の博打場もある。

噺の多くの時代背景は江戸後期だから、まだ教育の水準は高くない。無筆の者もいる。そのボタンの掛け違いが笑いを生む。しかし頭の回転が少し緩く、身体に障害があったとしても、決していじめたり、蔑むようなことはしない。

落語は伝承による話芸なので原典となる定本があるわけではない。消滅した職業や年中行事、習俗が残る。庶民が使う言葉だから、あまり上品とはいえない罵倒語や死語同然の表現も耳に入る。知ると楽しい仲間内の符丁や隠語も生き続ける。

大衆芸能から生まれたあまり辞書には載っていないような「裏世界の日本語」に興味をいだき、収集・考察してみた。例えば「へっつい」や「藪入り」といわれても、今の若い人にはわからない。「立て過ごす」とか「立て引きが強い」といった言葉や「ガマの油」の口上も、そのまま聞き流してしまうのが普通だ。肝心なサゲがわかり難い噺は前もってマクラで説明するが、詳細にタネを明かしてしまえば、お客の興が覚める。落語家が苦労するところだ。

ワインは飲んで楽しむものであって、蘊蓄をひけらかすものではない。落語も然りだ。しかしコレステロールではないが、蘊蓄にも善玉と悪玉がある。本書に記した蘊蓄(私自身そうは思っていないのだが)はもちろん善玉だ。コロナ禍の影響で、落語のような「どうでもいいもの」を楽しむ余裕が失われていくのは、きわめて残念でならない。

『落語の行間 日本語の了見』
重金 敦之
左右社
256頁、1,800円〈税抜〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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