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【執筆ノート】
『デジタル化する新興国──先進国を超えるか、監視社会の到来か』

2021/01/16

  • 伊藤 亜聖(いとう あせい)

    東京大学社会科学研究所准教授・塾員

デジタル技術の利活用では、日本よりも海外の方が進んでいるのではないか。インドの路上で、中国のレストランで、東南アジアの工場で、このように感じたことがある。この直感を素描したのが本書である。

書店に行けば、デジタル技術による社会変革を意味するデジタル・トランスフォーメーション(DX)を主題とする本が山積みである。しかし多くの場合、その舞台は日本か、アメリカを筆頭とする先進国だ。

しかし2010年代にモバイル・インターネットは、新興国・途上国にも普及した。スマートフォンや各種センターを起点とした新たなサービスが途上国の生活を、雇用を、政治をも変えている。先進国を「北」、発展途上国を「南」とするならば、「南」にこそ目を向けるべきだ。そこには圧倒的な人口動態と、爆発的な通信環境の整備、そして新技術で課題を解決しようとする試行錯誤が積み重なっている。

第1に、デジタル化は新興国の可能性を拡げる。アリババやテンセントといった巨大プラットフォーム企業を生み出した中国にとどまらず、電子生体認証を導入したインド、宅配・ライドシェアの広がりが見られる東南アジア……。アフリカでもベンチャー企業が生まれ、留学帰りの企業家がチャンスを探っている。

第2にデジタル技術は、新興国の脆弱性を顕在化させる。自動化技術の普及は労働市場への負荷を高め、また監視技術の発達は権威主義体制に活用されつつある。

つまりデジタル化は可能性だけでなく、律儀に脆弱性まで増幅してしまう。平たく言えば、デジタル化はもろ刃の剣。いい所取りは難しい。

このような着想を一筆書きで書いたわけだ。著者の専門は中国経済なので、案の定、執筆には無理もあった。ただ、新興国のデジタル化を考える道のりは、無地のキャンバスに描くような解放感のある作業だった。下手な絵でも、形状と大意が伝わって、議論の叩き台になればよい。

土埃舞う発展途上の現場に、モバイル・インターネットを活用したサービスが実装された。未知の情景に見えるが、これが今後の常態だ。そして感染症流行により、この趨勢はいびつな形で加速されつつある。

『デジタル化する新興国──先進国を超えるか、監視社会の到来か』
伊藤 亜聖
中公新書
256頁、820円〈税抜〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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