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【執筆ノート】
『徒然草をよみなおす』

2020/12/12

  • 小川 剛生(おがわ たけお)

    慶應義塾大学文学部教授

昔の演奏家の音楽が好きである。放送録音を商品化したものが結構ある。モノラルで雑音交じりであるが、たとえばクナッパーツブッシュのパルジファルといったものは、あちこちのレコード会社から何度も発売される。最新リマスターと謳われても期待外れがほとんどだが、たまに放送局の倉庫から正規音源が発掘されると、霧が晴れたような音で鳴る。海賊版の貧弱な音質を神韻縹渺(しんいんひょうびょう)と評価していたら滑稽だし、まして別人の演奏だと判明すると面倒なことになる。

それで徒然草である。有名な作品だから、作者兼好のことも実によく知られている。下級公家卜部氏の出身で、蔵人として仕えた天皇が早世した上、新興武家の時代とは合わない不運のため、遁世した。過去の王朝文化を懐かしみ、新奇さを嫌悪し、厭世的・尚古的な内容の随筆を書いた──これで徒然草の「性格」はよく説明できる。

ところが、兼好の伝記は徒然草をもとに後世、捏造されたものであった。そのことは既に『兼好法師──徒然草に記されなかった真実』(中公新書、2017年)ほかで明らかにした。要するに兼好が生き、徒然草が書かれた、鎌倉時代後期~南北朝前期の時代状況に対する知識が更新されていなかった。徒然草を古典中の古典に祭り上げておきながら、伝記をペテンであると見抜けず、徒然草の「性格」を論じていたことになる。有名な作品にばかり研究者人口が偏する弊害は深刻である。

それでも、作品は作者や時代とは関係なく存在し得る、と考える人がいるかも知れない。そこで、兼好の時代に降り立って、徒然草を高校生・大学生に向け読み直してみたのが本書である。教科書に載る有名な段も、マイナーな段も取り上げた。べつだん、兼好の隠そうとした仮面を無理に引き剥がしたわけでもない。ここで示した読み方で、作品の魅力も減ずることはあるまい。幸い、何人かの読者から「膝を打った」との感想を承った。これまで、絶賛されるがなんだかよく分からなかった演奏を、素性のよい音源で再生してみて、ああ本当はこんな音が鳴っていたのか、と分かっていただいたようなものと思っている。

『徒然草をよみなおす』
小川 剛生
ちくまプリマー新書
192頁、800円〈税抜〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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