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【執筆ノート】
『タブローの「物語」──フランス近世絵画史入門』

2020/12/09

  • 望月 典子(もちづき のりこ)

    慶應義塾大学文学部教授

私にとって子供の頃から親しみのある西洋絵画は、東京の美術館がコレクションしている印象派やポスト印象派の絵だった。西洋で描かれた絵画が海を渡り、日本の美術館で展示される、まさに自律性と可搬性というタブローの特徴をよく示したものだ。西洋絵画と言えばタブロー、という認識だったが、学生の時にヨーロッパを旅行して、各地のカトリック聖堂や宮殿を飾る大規模な作品を現場で(in-situ)体験した時には、その場が醸し出す荘厳で神秘的な、あるいは世俗的で祝祭的な雰囲気とともに抗う術なく圧倒された。これらはまさに場所に依存し、(容易には)動かすことのできない作品群であって、タブローの対立項と言える。

17世紀のフランス人画家ニコラ・プッサンは、パリで修行したのち、殆どの活動をローマで行った。永遠の都がバロックの力動的で劇場的な芸術に満たされていき、イタリアの多くの画家が大規模フレスコ画で名を成すのを横目で見ながら、彼は中型タブローに固執し続け、額縁で囲まれる空間の中に、一定の距離から凝視し、理性によって読み解くべき物語画を、イタリアや祖国の個人の美術愛好家のために描いていった。もちろんそこには様々な葛藤があったが、彼は、古典古代とルネサンスの伝統を有しながらも、情感が溢れ出る壮大なバロック美術が開花したローマの地で静謐かつ知的な世界を探求し続けるのである。

プッサンの作品は一瞥で鑑賞者を巻き込む絵とは異なり、いったん距離をおいて枠内の巧妙な構成のバランスを堪能しながら、じっくりと読む絵である。だが、そこに情感がないわけではない。強靭な知性がそれを統御し、絶妙な均衡と抑制を保つ。

彼の中型タブローはその後のフランス美術アカデミーの芸術に大きな影響を与えたことで知られている。とりわけ、王の権威を訪問者に否応なく植え付けるための、ヴェルサイユ宮の壮大な天井装飾につながっていくのは興味深い。本書はプッサンの芸術を軸に、タブローという西洋絵画の自律的形態が、装飾画との相克の中で辿った歴史を、その形式、主題内容の変容、鑑賞者との関係などから俯瞰しようという、小さな本に込めた大それた試みである。

『タブローの「物語」──フランス近世絵画史入門』
望月 典子
慶應義塾大学三田哲学会叢書
104頁、700円〈税抜〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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