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【執筆ノート】
『アジア主義全史』

2020/11/09

  • 嵯峨 隆(さが たかし)

    静岡県立大学名誉教授・塾員

私がアジア主義を本格的に研究し始めたのは、今から15年ほど前のことだ。それまでは主として、近代中国の政治史・思想史を研究テーマとしていた。最初にアジア主義を扱った論文は、孫文が1924年11月に神戸で行った「大アジア主義」講演をめぐるものであった。この研究を経て、アジア主義は日中双方の立場から、長期的なスパンで比較・検討し直す必要があると考えるに至った。その後の研究成果をまとめたのが、前著『アジア主義と近代日中の思想的交錯』(慶應義塾大学出版会、2016年)であった。

このたび上梓した本書は、学術書である前著をできるだけ分かりやすく書き改め、その後の研究で得られた知見を基に数名の人物の思想についての論述を加え、対象時期も江戸期から現代にまで広げている。日本側の初期の論者としては、日本と朝鮮の対等合併を説いた樽井藤吉、東亜同文会の初代会長である近衞篤麿(このえあつまろ)、中国革命の支援者であった頭山満(とうやまみつる)、宮崎滔天(とうてん)、北一輝らを取り上げている。アジア主義が国権論者と民権論者の双方を包摂する思想だったことが理解されるだろう。

中国側の人物としては、後に国父と称される孫文、亜洲和親会に参加した人々、そして中国共産党の創設に関わる李大釗(りたいしょう)らを取り上げている。彼らの主張は程度の差こそあれ、いずれも日本政府の対アジア政策および言論界の動向に影響を受けつつ、日本との協力あるいは対抗という立場から、西洋列強からのアジア解放を訴えたものであった。

日中戦争勃発後、両国のアジア主義は新たな様相を以て立ち現れた。本書では日本の東亜協同体論、中国の抗日的アジア主義論、そして石原莞爾(いしわらかんじ)の東亜聯盟論に呼応した中国の思想と運動を紹介している。結局、日本型アジア主義は敗戦によって破産を宣告された。そのため、戦後の思想界においてアジア主義は否定的評価を受ける傾向にあった。もちろん、今日の世界でアジア主義が過去の形態で再生することはあり得ない。しかし、西洋的近代主義が行き詰まる状況下で、それが過去の思想の良質の部分を受け継ぎ、新たな価値を創出する根拠となる可能性は存在するのではないかと考えている。

『アジア主義全史』
嵯峨 隆
筑摩書房
304頁、1,700円〈税抜〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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