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【執筆ノート】
『治したくない──ひがし町診療所の日々』

2020/08/24

  • 斉藤 道雄(さいとう みちお)

    ジャーナリスト・塾員

精神病は優れて人間的な病気なので、医療だけでは扱えない。

そんなことをいえば、多くの専門家の顰蹙(ひんしゅく)を買うだろう。けれど精神科医のなかにも、精神病は医療だけで治せないと考える人が少なからずいるのである。

ではどうすればいいのか。

医療のほかに何があれば精神病は治せるのだろう。そもそもこれは治せる病気なのか。いったい「精神病を治す」とはどういうことなのか。

治す前に、そんなところで立ち止まった人びとがいる。立ち止まったというより、失敗を重ねながら途方にくれ、立ちすくんでしまった人びとである。やがて彼らは考えるようになった。病気でもいい、自分はそのままでいいのだと。そのままで生きようではないかと。

すべてをあきらめたかのようなところで、彼らが見いだしたのは絶望や孤独ではなかった。人間的な、じつに人間的な笑いと安心だった。

本書は北海道の浦河町にある「ひがし町診療所」という精神科クリニックで、そのような変貌を遂げた人びとの記録である。この診療所で起きたことは、医療がかぎりなくその役割を縮小したとき、患者ははじめて病気の当事者として現れるということだった。医療よりも日々の暮らし、地域での生活、そして何よりも仲間とのつながりを大事にし、そこで自らを語るところからほんとうの意味での回復ははじまるということだった。

浦河町では、1980年代から「べてるの家」という当事者のグループがユニークな活動を展開してきた。彼らを支えてきた川村敏明医師は、精神科に入院していた患者を全員退院させ、その後2014年、ひがし町診療所を開設している。この診療所はいまや日本の、いや世界の精神科の最先端を歩んでいる。そんなふうに思うのは私の妄想だろうか。

もしもそれが最先端だとしても、そこにあるのは最新の医療や技法、傑出した人材ではなかった。ただの人びとが、ただ考えつづけたのである。どうすることもできない状況のなかでなおかつどう生きるか、そのことを考えつづけ、一人ひとりが哲人になったのである。

『治したくない──ひがし町診療所の日々』
斉藤 道雄
みすず書房
256頁、2,200円〈税抜〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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