三田評論ONLINE

【執筆ノート】
『絵画の運命──美しきもの見し人は』

2020/07/13

  • 柴崎 信三(しばさき しんぞう)

    ジャーナリスト・塾員

副題の「美しきもの見し人は」は19世紀のバイエルンの古典主義詩人、アウグスト・フォン・プラーテンの詩『トリスタン』から夭折の詩人、生田春月(いくたしゅんげつ)の訳を借りた。

美しいものに魅せられた魂が死に導かれてゆくという詩の比喩は、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』で主人公の作家、エッシェンバッハにそのまま託して造形された。

あのルキノ・ヴィスコンティ監督の名作映画の冒頭、蒸気船のデッキに身をまかせた主人公をマーラーの交響曲第5番のアダージェットが包み込む場面を思い起こせば、そのモチーフは十分に伝わるに違いない。

この本は古今東西の絵画作品が、歴史のなかで「見る人」のまなざしによってどのように発見され、あるいは流転を重ねてきたのかを、その時代とかかわった人々や社会の動きを通して描いている。画家の禀質(ひんしつ)と作品の伎倆(ぎりょう)を中心に論じられる美術史とは一線を画した物語である。

そこには画家自身にくわえて作品のなかのモデルや蒐集家、政治家やパトロン、ジャーナリズムなど、作品のすそ野にわたる多彩な関与者が登場する。だれもが「美しきもの見し人」であり、それが時に作品の運命ばかりか歴史の歯車を動かす。

辛亥革命で最後の皇帝溥儀のもとから中国各地を流転した北宋時代の名画は、冷戦時代に周恩来の決断で米国への流出を抑えて北京の故宮へ舞い戻る。犯罪者でもあったカラヴァッジョに『聖マタイの召命』を描かせたある枢機卿の哀しみとは何だったのか。鏑木清方(かぶらききよかた)が名画『築地明石町』に映したもう1人の同時代の女性、樋口一葉──。カンバスの裏に隠された挿話は、名画に対する新たなまなざしを呼び起こすだろう。

ふんだんにカラー図版を使ったうえで、表紙やデザイン、レイアウトなど造本に力を注いだ。「情報」としてではなく、紙の出版物としての評価を仰ぎたい本でもある。

表紙に用いた『日本式広間にいる画家の子供たち』は19世紀のスペインの画家、マリアノ・フォルトゥーニの作品である。はるか遠い「日本」への幻影を通して、画家がある日本人外交官と結んだ終章の奇譚とともに、絵画という表象が歴史に働きかける不思議な力を考えたい。

『絵画の運命──美しきもの見し人は』
柴崎 信三
幻戯書房
240頁、2,800円〈税抜〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事