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【執筆ノート】
『「間合い」とは何か──二人称的身体論』

2020/05/29

  • 諏訪 正樹(すわ まさき)

    慶應義塾大学環境情報学部教授

「間合い」という言葉は実にふわっとしている。身体は確かに感じているが、一言では表現し尽くせない暗黙性の高い現象だからである。それ故であろう、「間合い」を探究した研究は過去にあまりない。身体知やコミュニケーションの認知を探究してきた認知科学者たちの真新しい挑戦である。

「間」はスペースや距離を意味する。しかし、対人競技(例えば、剣道)を考えればわかるように、「間合い」は、竹刀と竹刀の、身体と身体の物理的距離や物理的時間のズレだけで捉えられる概念ではない。「自分の間合い」とは、対戦相手を居つかせ自分だけが攻め手を繰り出せる心身の状態である。「合」の存在が、この概念を一層難しくしている。

競合的なシーンだけの概念でもない。協調的な間合いの事例として、誰かと立ち話をする場面を考えよう。2人称の立場から相手の想いや体感を共感しながら、喋りを意図的にかぶせたり間を置いたりという時間的調整や、立ち位置、及び身体の距離や向きという空間配置の調整を何気なくしている。声色、語気の強弱、表情、視線、ジェスチャーなども含めた、その全体性が協調的な間合いを構成する。

本書は、間合いは生活のありとあらゆる場面に遍在することを示唆するものである。対人競技の事例として野球、サッカー、柔術を、生活の事例として普段の何気ない会話と、歯科診療における歯科医師・患者のやりとりを取り上げた。フィールド調査の研究者と対象コミュニティの間に生まれるラポール(本書では、地域の祭りの運営母体のメンバーと研究者)も興味深い事例である。

「間合い」は対人場面だけに留まらない。建築空間における居心地は、人と空間(存在するモノとその配置)が出逢うという「間合い」かもしれないという仮説も紹介する。

いずれの探究も、実験室から世のフィールドに出て現場で生じている現象に着眼し、自らの身体・他者・モノの間に生じている相互作用を1人称視点で観察・記述することを礎にしている。それなしに間合いの研究はできない。暗黙知の探究のために学問はどうあるべきかを問う書でもある。

『「間合い」とは何か──二人称的身体論』
諏訪 正樹
春秋社
272頁、2,200円〈税抜〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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