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【執筆ノート】
『明治憲法下の立憲主義者──清浦奎吾研究』

2020/05/23

  • 小野 修三(おの しゅうぞう)

    慶應義塾大学名誉教授

慶應2(1866)年32歳の福澤先生は『西洋事情初篇巻之一』のなかで、「立君定律」すなわち今日の立憲君主制について「国に二王なしと雖(いえ)ども、一定の国律ありて、君の権威を抑制する者」であり、「現今欧羅巴(ヨーロッパ)の諸国、此制度を用ゆるもの多し」と説明する啓蒙思想家であった。大君(徳川将軍)であっても憲法による拘束を受ける法治思想を前提とする政治制度を紹介していたわけである。

これに対して、本書が扱う清浦奎吾(きようらけいご)は慶應2年当時16歳、九州・日田(ひた)の私塾咸宜園(かんぎえん)の塾生で、福澤先生のように蘭書にも英書にも親しむことはなかったが、明治9(1876)年司法省に出仕、政府が招聘したフランス人の法学者ボアソナードから法治思想・立憲主義を親しく学ぶことが出来ていた。

もちろん清浦は福澤先生のように国民に向けての書物ではなかったが、明治13年に今日の刑事訴訟法たる『治罪法講義』を出版する。このなかでフランス人権宣言の原則を受容し、法治思想・立憲主義を法制化する明治政府の開明官僚の一人清浦を読むことが出来る。

清浦はこのように司法省出仕から始まって内務省警保局長、貴族院議員、司法大臣、枢密顧問官、首相、そして首相退任後は首相経験者たる重臣として明治、大正、昭和と国家統治機構を整備・運用する地位に任じられて、93歳で昭和17年に没する。この生涯に関して、政党内閣制以前の最後の超然内閣の組織者という新旧交代期の橋渡し役を担っただけの人物との定説には怪訝の念を禁じ得なかった。

私の場合、清浦との出会いはその前半生が監獄行政官僚、後半生が今日の民生委員、当時の方面委員の立案・実施に大阪府嘱託として当たった小河滋次郎(おがわしげじろう)の内務省、司法省当時の上司、支援者にして岳父たる清浦に発しており、その小河に関しては先年慶應義塾大学出版会より『監獄行政官僚と明治日本──小河滋次郎研究』として出版頂いた。小河の時には小河に欠けるものを合わせて論じなければならないという強い思いがあったが、清浦については清浦に欠けるものを言い当てることなくまず出版ということになった。

『明治憲法下の立憲主義者──清浦奎吾研究』
小野 修三
世織書房
244頁、3,400円〈税抜〉

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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