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【執筆ノート】
『南方熊楠のロンドン──国際学術雑誌と近代科学の進歩』

2020/04/16

  • 志村 真幸(しむら まさき)

    南方熊楠顕彰会理事、慶應義塾大学非常勤講師・塾員

南方熊楠に関わることになったのは偶然からだった。三田の文学部から京都の大学院に進学した私は、観光の歴史を研究するつもりだった。ところが、指導教員が熊楠の資料調査に関わっており、助手として動員されたのである。

熊楠は、明治から昭和初期に活躍した生物学者・民俗学者として知られる。後半生を過ごした和歌山県田辺市の旧邸には遺品がほぼ手つかずで残り、本格的な調査が始まったのは、1990年代半ばのことであった。私が2001年に初めて訪れたときも、熊楠が標本庫・書庫として使っていた蔵には、生物のホルマリン漬けや古今東西の書物が雑然と詰めこまれた状態だった。蔵のなかに漂うムッとした空気はいまでも忘れられない。そのなかに本書で扱うことになる『ネイチャー』『ノーツ・アンド・クエリーズ』等の雑誌があり、誌面には熊楠の書き入れがびっしりと残されていたのである。

熊楠の英文論文は『ネイチャー』に51篇が掲載され、これは史上最多ともいわれている。彼がロンドンで投稿を開始した19世紀末から、『ネイチャー』は世界最高峰の科学雑誌として知られていた。そこになぜこれほど多数の論文が載りえたのか。欧米の学術界は、熊楠にどのような価値を見出していたのか。

本書では、同時代のイギリスという歴史的な切り口からアプローチを試みた。なかでも注目したのは、雑誌という側面である。『ネイチャー』は商業誌であり、誰もが自由に投稿できる議論の場として機能した。これによって「科学」への参加者が大幅に広がった。さらに週刊誌として発行されたため、議論が週ごとに進み、科学の発展のスピードが格段に上がる。これらの結果として『ネイチャー』は近代科学を支える基盤的な装置となったのである。

一方で『ノーツ・アンド・クエリーズ』は知識の集積の場として機能し、『オクスフォード英語大辞典』などの編纂にもつながった。

しかし、当時の急速に拡大する世界情勢下において、欧米の人材だけでは足りないものがあり、熊楠の活躍が必要となったのである。熊楠がはたした役割の詳細については、ぜひ本書を手にとってみてほしい。

『南方熊楠のロンドン──国際学術雑誌と近代科学の進歩』
志村 真幸
慶應義塾大学出版会
296頁、4,000円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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