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【執筆ノート】
『日本のセーフティーネット格差──労働市場の変容と社会保険』

2020/04/21

  • 酒井 正(さかい ただし)

    法政大学経済学部教授・塾員

人々が失業した際のセーフティーネットを提供するのが雇用保険だが、失業者のうちで実際に雇用保険(失業給付)を受給している者の割合がどれくらいか、ご存じだろうか?

答えは3割以下である。裏返せば、失業者のうち7割以上は、失業給付を受給していない。これは、非正規雇用で働く者が受給要件を満たさないまま失業していることが大きい。

非正規雇用の人々は、雇用保険を享受しにくいばかりか、年金や健康保険といった「国民皆保険」であるはずの社会保険でも、保険料の納付が滞り、そこから漏れ落ちがちだ。

正規雇用のような安定した雇用形態の者しか恩恵に与(あずか)れないならば、そのようなセーフティーネットに意味はあるのだろうか。これが、本書を執筆した問題意識だ。

とはいえ、これまでも正規雇用と非正規雇用の間の「セーフティーネット格差」については広く指摘されてきた。本書では、一歩進んで、格差の是正策を、それが持つジレンマと合わせて考察した。

セーフティーネットから漏れ落ちた者への救済策には、生活保護のような福祉を拡充する方向と、社会保険(被用者保険)の適用範囲を拡げる方向とがあるが、後者のほうが影響範囲は大きい。それは政府がまさに進めているものでもあり、その方向性を否定するつもりは毛頭ない。

ただ、社会保険の適用だけを拡大しても、給付の充実に結びつかないことや、そもそも無職の者や断続的な就業をする者には有効でない可能性がある。このことは、就職氷河期世代への支援を考える際などに特に重要となる。

綻(ほころ)びが生じたセーフティーネットの回復を、家族による自助努力や企業努力に頼むのも、不公平や副作用が懸念される。女性や高齢者の労働参加が進む中、社会保険もそれに合わせた仕様にするためには、慎重な設計が求められるのである。

しかし、執筆時には予想外だったこともある。被用者保険の適用拡大や70歳までの雇用確保措置、育休給付の分離といった議論が、この半年で急速に進んだことだ。だからこそ、本書の視点に立って、議論の文脈を見失わないことが重要だと言ったら牽強付会だろうか。

『日本のセーフティーネット格差──労働市場の変容と社会保険』
酒井 正
慶應義塾大学出版会
352頁、2,700円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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